
図1 チレによるベルリンの貧乏長屋のスケッチ:「お母さん、フリッツのおしめがびしょ濡れだよ!」母親は「陽の当たる所においときな!」と答えている。
当時のベルリン在住の労働者階級をスケッチに残した画家にハインリッヒ・チレ(Heirich Zille:1858年-1929年)がいます。チレは常に労働者の側に立ってスケッチを行いました。このスケッチを見ると当時の労働者のベルリンにおける生活が理解できます。わが国においても少子化が問題になっていますが、ドイツの方が早い時期に少子化時代に入っていったのです。現在のベルリンは極めて子供の数が少ないのですが、ブルーノ・タウトがそしてハインリッヒ・チレが活躍した時代の労働者階級は極めて子沢山でありました。子供が保険代わりであったのか、当時の幼児の死亡率が高く多く子供を生まないと子供に将来を託せなかったのか?

図2 チレのスケッチ:「あんたの鼠、どうして死んだの?」「おれんちとても湿ってんだ」鼠が死ぬほどの住環境の悪さが想像されます
図 1は赤ん坊のお守りを頼まれた女の子が「お母さん、フリッツのおしめがびしょ濡れだよ!」と叫んでいます。窓から顔を出した母親は「日の当たる所に置いときな!」と答えています。図 2は鼠の死骸を玩具にしている男の子に女の子が聞いています「どうしてあんたの鼠は死んだの?」「おれんちとても湿っているんだ」当事の住宅の劣悪な室内環境が想像されます。図3は「最貧乏人の引越し」という題です。失職し病を得た男が家賃の滞納からか家を追い出されたのでしょう。でも子供の顔には笑顔が見られます。
親の顔は貧乏に耐えかねた表情ですが、子供の顔はどれも明るく笑顔には将来の希望を感じる救いがあります。これがドイツ人の伝統精神かとも考えられます。ドイツの神様には「神々の黄昏」でご存知のように滅亡があります。しかしその滅亡からまた這い上がってきます。その力強さには感心します。

図3 チレのスケッチ:最貧乏人の引っ越し
第一次世界大戦の敗北、そして復興、第二次世界大戦での敗北、そして脅威の復興。ブルーノ・タウトが活躍した時代は第一次世界大戦での敗北からの復興期でした。労働者に健康的な住宅を供給する事が氏の使命であったのでしょう。奇跡の経済復興をなしとげたドイツは豪華な住宅も多くなっています。タウトの作品はその中に埋没し、必ずしも存在感がありませんがこの住宅が建てられた1920年代という時代を考えるとタウトの努力に敬意を払わざるを得ません。