
今回室内見学を行なったオンケルトムズヒュッテ、アルゼンチン大通りの集合住宅、1927年設計
これは地下鉄駅オンケルトムズ・ヒュッテのすぐ近くにある、リーマイスター通り(Riemeisterstr.)とアルゼンチン大通り(Argentinische Allee)の交差点近くに建つ集合住宅の1階にお住まいのKさん邸である。1927年設計の物件であるので、昭和2年ということになる。初対面のKさんであったが、快く案内をしていただき、まさに部屋の隅から隅まで案内してくださった。

とても1927年設計の住宅と思えない現在の居間、このように居間を保つのもドイツ夫人の真髄か。
わが国では昭和30年代建設の住宅も建て換えが行われるというのに昭和2年建設の住宅がまるで、新築同様、どこか住宅展示場のモデルハウスの如くに維持されていた。もともとドイツ夫人は住宅の手入れ掃除が得意で、時間があると窓拭き掃除を行っているのであるが、改めて感心をしたものである。また自宅に人を呼んでパーティーを行う習慣がある。その際には部屋の隅から隅まで案内をしてくれるのがドイツ夫人の常である。

当初カッヘルオーフェンの煙道であった場所が現在は飾り柱となり、残っている」
どの部屋も大変きれいに片付けられていて「恐れ入りました!」となるのであるが、考えてみると彼らは日本人に比べ少ない持ち物で生活が成り立っている。食器一つ取っても日本では和食器、洋食器、中華の食器さらに夏用の食器、冬の食器とやたらと多く収納に困ってしまうものである。衣装も同様で、ドイツでは四季を問わずそう変化はなく、冬は外が寒いので、厚いオーバーを引っ掛けて外出するぐらいである。

地下室を案内されると”15名用の防空壕として適する”の朱書に改めて驚く。
さて部屋の隅々まで拝見させて頂、最後に地下の収納倉庫となった。ここでハッとしたことがある。地下室にはドイツ語で「ここは防空壕として適する」と朱書されていたのである。考えてみればこの住宅は第一次世界大戦の後に建ち、第二次世界大戦を抜け、その後も西ベルリンの周囲はソ連軍が包囲をしていたという緊張の中で生活をしていたのである。今の平和の時代には想像も出来ないことであるが、つい数年まではそういう時代であったのである。きっとこの地下室は厚いコンクリートで堅固に作られたのであろう。