マルチン・ルター(Martin Luther 1483年〜1546年)は宗教改革者として尊敬を集めています。ヴィッテンベルグ(Wittenberg)大学教授として神学を深め、ついにキリストによる罪のゆるしを信じるだけで救われるとの確信に達します。

城の眼下にチューリンゲン(Thüringen)の森が広がる。
1517年、教皇の免罪符の無意味と不当をつく95か条を公表し、宗教改革の口火をきります。旧教側とハイデルベルク(Heidelberg)、ライプチッヒ(Leipzig)で論争を起こし、1521年ヴォルムス(Worms)の国会に召喚されますが、自己の立場を変えず、法の保護を奪われます。その時の結びの言葉「私はここに立っている。私はこれ以外の事はなしえない“Hier stehe ich; ich kann nicht anders”は全ヨーロッパの関心をとらえたと言われます。

ヴァルトブルグ(Wartburg)城遠景、ルターが幽閉され、保護されていたことから十字架が付いている
ザクセン(Sachsen)公フリードリッヒ3世の城であるヴァルトブルグ(Wartburg)城に保護され、ルターはここでギリシャ語の聖書をドイツ語に翻訳します。これがグーテンベルグ(Gutenberg)の印刷術により印刷され、部族ごとに異なっていたドイツ語も統一されたといわれます。これもヴァルトブルグが当時のドイツの丁度中央に位置していたからとも言われますが。ヴァルトブルグ城は写真に見るように敵が攻め込めない堅固なつくりをしています。
現在は城内にホテルも出来、部屋は全て眼下のチューリンゲンの森を見渡せるように出来ています。この森を紅いに染めて夕日が沈み、森はたちまち墨絵のようになり、そして夜のとばりがおります。城は静寂に包まれ、気がつくと星が満天の夜空に輝いています。テーブルに蝋燭がともり、ワインを飲みつつのホテルの夕食は旅の疲れを忘れさせます。一方で500年前にルターがここで幽閉されつつも頑張って自分の主張を貫いたという思いに厳粛な気分になりました。

マルチン・ルターが幽閉・保護されていた房に残るカッヘルオーフェン(Kachelofen)
城内にはルターの部屋という粗末な房があります。現在はここにドイツ語に翻訳された聖書が飾られ、ルターが翻訳の仕事をした机と椅子が残っています。冬は当然寒かったわけですから、房の隅にカッヘルオーフェン(Kachelofen)の暖炉が置かれていました。米国でも「エリートはWASPから出る」「WASPでなければ出世できない」といわれます。WASPは言うまでも無く、白人で、アングロサクソンでプロテスタントと言う意味ですが、プロテスタント(抗議者、抵抗者)はここで生まれました。ちなみにドイツ語ではプロテスタントをエファンゲリシュ(Evangelisch)と言います。

マルチン・ルターの房に飾られるドイツ語に翻訳された聖書
posted by 田中の住居学 at 00:00|
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