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2007年09月24日

ヴァイセンホーフ(Weissenhof)住宅団地

Stuttgart(シュツットガルト)のWeissenhof(ヴァイセンホーフ)住宅団地。ドイツは第一次世界大戦で敗戦、住宅が欠乏し、かつ水準が下がりました。この水準を取り戻すべくヴァイセンホーフ地区に世界から有名建築家を集め、住宅水準の向上に努力しました。しかし第2次世界大戦でシュツットガルトは激しい空襲に遭い多くの住宅を再度失うことになります。

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ル・コルビジェ(Le Corbusier(6.10.1887-27.8.1965)設計。集合住宅。1927年建設。1983-1984年改修。

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オウドJ. J. P. Oud(9.2.1890-5.4.1963)設計。5家族連続住宅1927年
建設。1983-1984年改修。

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ミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe,27. 3. 1886- 17. 8. 1969)設計。
1927年建設。1984- 1986年に改修。集合住宅

1980年代に再建が行われましたが、当初からあったブルーノ・タウト、マックス・タウトの作品は再建されることもなく空き地となっているのは悲しいものです。ベルリンのテイアガルテンにあるハンザフィアテルの規模を小さくしたような団地ですが、有名建築家の作品を比較的楽に歩ける範囲に配置していることは有り難いことです。団地の中央には資料館もあり、住宅建築を学ぶ人にとっては有り難い施設であります。

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ハンス・シャローン(Hans Schroun, 20. 9. 1883- 25. 11. 1972)設計。独立住宅。1927年建設。1979-1981年に改修。

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アドルフ・シュネック(Adplf G. Schneck,7. 6. 1883- 27. 3. 1971)の作品。2家族住宅。1927年頃建設。1985-1986に改修。
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2007年09月17日

駅舎

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ベルリンのS-Bhan(都市近郊電車)メキシコ広場の駅舎

最近通勤電車で人を押したとか、足を踏んだとか、携帯電話を止めろとか、大した事でなくても怒鳴りあい、場合によっては殴るなどの暴力沙汰が増えています。

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ベルリンの地下鉄ダーレムドルフの駅舎

家族関係がうまくいかないのか、会社へ出ても仕事が面白くないのか、皆様イライラして通勤をしているようです。ひどい場合は電車に飛び込んでしまう人まで現れる状態で、これが原因で列車は遅れます。

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ベルリンの地下鉄チールプラッツの駅舎

ドイツの都市の通勤電車を見ると乗客も少ないせいか、少なくとも車内での暴力沙汰や罵声を浴びせるなどと言うことはありません。駅舎を見ても首都ベルリンの場合、どの駅も極めて風情があり、ロマンチックであります。

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ベルリンの地下鉄ポドビルスキアレーの駅舎

その駅舎のいくつかを写真で紹介しますが、このような駅舎から乗り降りしているとイライラするような事も少なくなるのかもしれませんね。

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ベルリンの地下鉄ブライテンバッハの駅舎

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2007年09月10日

ローレライ

ライン河の中流に名勝の巨岩ロ−レライがあります。悠々と流れてきたラインはここで川幅が半分ほどになり、巨岩に突き当たるやけですから流速は急に増します。水深は20〜30 m、聳え立つ巨岩は132 mあるそうです。従ってここでは昔から水難事故が多く、美女が船人を水底に引き寄せるなどの話がありました。

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ハインリッヒハイネが「なじかは知らねど心わびて。。」と歌い上げたローレライ

ハインリッヒ・ハイネ(1797〜1856)の詩にフリードリッヒ・ジルヒャー(1789〜1860)が作曲したローレライは近藤朔風により翻訳されわが国でも親しまれています。「なじかは知らねど心わびて、昔の伝説(つたえ)はそぞろ身にしむ。寂しく暮れ行くラインの流れ・・・」

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ハイネは住宅の窓から顔を出す少女に花束を捧げ、愛を告白します。

ローレライはLoreleiと書きます。日本人はLとRの区別がつきません。ビアホールで楽隊が入っていてローレライをリクエストしてもなかなか通じないそうです。そもそもアクセントの位置も最後にあり、日本で一般に話しているのとは異なります。
ハイネはデュセルドルフのユダヤ商人の家に生まれています。ハイネの時代がユダヤとゲルマンがうまく共存していた時代と言えます。ナチ政権になり、ローレライにあったハイネの碑も撤去されたそうです。

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ロマンチストハイネはドイツ人に愛されたユダヤ人でした。デュッセルドルフの出身でした。
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2007年09月03日

ドイツ外斷熱協会創立50周年

些か旧聞になりますが、平成19年6月14日、15日の両日ベルリン市で開催されたドイツの湿式外断熱工法協会(本部バーデン・バーデン)創立50周年記念大会に招待され出席しました。出席者は300人という盛大なものでありました。

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ドイツ外断熱協会創立50周年の記念大会が開かれたベルリン市庁舎はカール・フリードリッヒ・シンケルの作品です。

14日ベルリン市庁舎の大講堂において挙行された式典で挨拶したチーグラー会長が「湿式外断熱工法は2006年に協会傘下企業で4240万平方メートルが施工され順調に伸びている」と報告しました。

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ドイツ外断熱協会創立50周年記念大会でチーグラー会長の挨拶がありました。

それに引き続き来賓として参加した運輸建設省のカスパリック事務局長は「地球温暖化防止のために外断熱工法を今やらなければいつやるのだ!協会傘下の皆様がやらなければ、誰がやるのだ!」と檄を飛ばしました。

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ドイツにおける湿式外断熱施工壁面積の変遷
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ドイツにおける断熱材厚みの変遷

環境省のクルーク事務局長は先日ドイツのハイリゲンダムで行われたサミットの宣言を引き合いに出し、「地球温暖化防止のために外断熱工法が絶対に必要である。今すぐに行動を!」と述べました。さらにベルリン市都市計画局のレーパー局長も「新築はもとより、改築も外断熱工法はベルリン市の美化に役立つ。省エネルギーの為に前進させよう」と述べました。

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ドイツ外断熱協会創立周年を記念して協会から50,000ユ−ロ(約900万円)が福祉団体に贈呈されました。

15日は会場をベルリン市中心部にあるヒルトンホテルの大会議場に移して、防火、接着、断熱改修などの各専門技術部会の報告がありましたが、外断熱マンションを日本で展開する夏目康広康和地所代表取締役とともに講演の機会を頂き、「1977年にサンシャイン計画で太陽熱利用実験住宅を建設する際に湿式外断熱工法を実施したのが始まりで、その後もいろいろ紆余曲折があったが、最近やっとその良さが認められ、確実にその実施例が増えている」と日本の湿式外断熱工法の状況を報告しました。

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6月15日会場をヒルトンホテルに移し、ドイツ外斷熱協会創立50周年記念大会が行われ、ここで招待講演を行いました。我が国においても湿式外斷熱工法が順調に、健全に育っていくことを祈念いたします。

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