
ヴォルムスの町は城壁によって囲まれていた。
1122年にこの町でヴォルムスの協約が結ばれています。当時の欧州はキリスト教国家でありました。教会組織が実権を握っていました。聖職者はラテン語を勉強するなど、教養も高かったのです。一方世俗諸侯も存在し、その頂点が皇帝でした。皇帝と教皇との権力争いはあちこちで起き、この協定がヴォルムスで行われたと言われます。またローマ教会に反旗を翻したマルチン・ルターはヴォルムスの勅令によって1521年5月に帝国追放刑にあっています。

ヴォルムスの町にあるルター記念像
しかしルターは勅令が出されるより前にチユーリンゲンの森で覆面の騎士にさらわれるという形で、守りの堅固なヴァルトブルグ城に連れ去られ、フリードリッヒ王にかくまわれます。ここで、ルターはギリシャ語の聖書を独訳し、グーテンベルグの印刷術を使用して世界に聖書を広めます。

ヴォルムスの町の大聖堂(ドイツでは珍しいロマネスク様式)Dom St. Peter
(同じ写真がありますので、これと交換してください。)
この町はルターとゆかりが深いことからルター記念像(Lutherdenkmal)、ドイツでも数少ないロマネスク様式の大聖堂Dom St. Peterがあります。またユダヤ人が多く居住していました。最古のユダヤ人墓地もこの町にあります。1076年と記された墓標が残っています。

ヴォルムスの町に残るユダヤ教会
ルター記念像は彫刻家エルンスト・リーチェル(Ernst Rietschel)によって造られました。ワイマールにあるゲ−テ・シラー像と共に氏の代表作であります。エルンスト・リーチェルの子息がヘルマン・リーチェルで、職人の技であった換気や暖房を学問として体系づけた方でベルリン工科大学教授となり、大学には氏を記念してヘルマン・リーチェル研究所があります。筆者はそこで、1971年〜73年の間客員研究員として在籍させていただき、その間に得た交友関係は大変に得難いものと感謝している次第です。

ヴォルムスの町にあるユダヤ人墓地