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2008年01月28日

ボーマン博物館における居住環境学展示

私はお茶の水女子大学で居住環境学の講義を平成5年以来していました。居住環境学という名前は当時他の大学にはありませんでした。生活科学部の発足と同時に居住環境学という講義も始まったのです。

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ボーマン博物館ではドイツの昔の生活を示す模型が多数展示されています。居住環境学を専攻していた者にとって大変興味深い展示でした。オランダのタイルが使用された中産階級家庭の厨房です。


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20世紀初頭の厨房です。食器として使用される陶器が立派に成っています。

他の大学の住居学科などではいかにうまく設計を行うか、工事を行うかを主眼に教育と研究が行われます。私の所では家政学部の伝統を継いでいるものですから、居住者の立場で「如何に上手く住むか」という研究・教育を行って参りました。

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これは19世紀末の厨房の模型です。

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19世紀末の厨房です。室内で燃焼が行われ、どの様に排煙を行ったのでしょうか?


もちろん「如何に上手く住むか」と「如何に上手く設計するか」という事は表裏一体の問題です。しかしボーマン博物館を訪問した際に居住環境学の原点はここにあったと感じたものです。

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19世紀末の住宅の居間です。右の隅にあるのがカッヘルオーフェン(Kachelofen)と呼ぶドイツで広く使用された陶製暖炉です。

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19世紀末の住宅の居間です。ここの左隅にあるのがカッヘルオーフェン(Kachelofen)と呼ばれる陶製暖炉です。単なる暖房機だけでなく室内の装飾品も兼ねていました。


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2008年01月21日

ツェレ・ボーマン博物館 生活

ツエレ(Celle)のボーマン博物館はドイツ人の生活について展示を行っています。居住環境学を研究していた小生にとって興味のある展示があります。

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ツエレのボーマン博物館にはドイツの住宅の歴史も展示されています。これは9世紀頃の住宅の模型ですが、木造による柱、梁が主構造でした。日本の住宅造りと共通点が見られます。

現在はRC(鉄筋コンクリート)やレンガ積みの建物が多いドイツでも昔は木造建築が主流であったことが伺われます。太めの柱、梁を使って主構造が作られました。木造はうまく乾燥して使用すれば永久に使用できます。

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後期石器時代の住宅だそうですが、主構造は木造、長さ30 m、幅7 mであったそうです。

セメント、ガラス、鐵、アルミニウム、合成樹脂など多くの建築材料は製造の段階で多量の二酸化炭素を排出します。木の製造の段階は森林で成長している時です。このときには二酸化炭素を吸収して成長しています。

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後期石器時代は既に火が使われました。室内で火を燃焼する事で調理が行われ、採暖も行われました。ここに展示された調理器具はもっと後生のものでしょう。

住宅が不要になっても多くの建築材料は産業廃棄物になりますが木材は燃料にもなり、また次の木材成長のための肥料にもなり循環いたします。

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これも当時の採暖と調理に用いられた暖炉です。
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2008年01月14日

ツェレ・ボーマン博物館 暖炉

ハノーバー(Hannover)の北東約40kmにあるツェレ(Celle)と言う町は中世の面影を残す木造木組みの建物が多く残り好きな町です。ここにはボーマン博物館という素晴らしい博物館があります。

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Celleのお城の前にある馬の像

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Celleの町を飛ぶ馬

特に暖房に関する歴史の展示は素晴らしいと思います。この地方は早くから鉄鋼の技術が発達し、鋳鉄製の暖炉が製造されました。かつては暖房器具が室内の装飾品でもあり、かなり凝った模様がついていました。寒いドイツの冬は暖房器具を中心とした生活が営まれていたのです。

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2つの城の模様と馬(左の下に羊飼いと2頭の羊もみられる)

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Wolfenbuettelの城と飛ぶ馬。WolfenbuettelはBraunschweigの南約15 kmの所にあるお城のある町です

この博物館にも沢山の鋳鉄製暖炉が展示されています。いろいろの模様がありますが、特に馬が町の上を飛んでいる模様が多いのに気がつきます。これら鋳鉄製暖炉は1,700年代に製造されたものが多かったのですが、当時は馬は情報をいち早く伝えるのにも使用されました。また戦争になれば馬で戦いました。従って王様は如何に良い馬を所有するかにかけていました。ボーマン博物館の鋳鉄製暖炉のプレートから馬の模様を紹介します。

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ある町を飛ぶ馬

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英国の王室王冠を持つ馬

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2008年01月07日

クリストフォロス

ドイツの大動脈ライン河に沿っては多くの伝説があります。クリストフォロスは3世紀の人といわれ、ギリシャ語で「キリストを運んだ者」の意味があります。力の強かった少年が一番強い人に仕えようとし、殿様を代えては一生懸命に努力します。最後は一番強い人は十字架を背負ってやってくると聞き、年老いてからもその人を探すべくラインの上流で河渡しになります。それをしていれば一番強い人が十字架を背負ってやって来るであろうという思惑もあったのでしょう。しかしいくら待ってもその人は現れません。ある風の強い水かさも増した夜に小屋で休んでいますと子供が現れ、どうしても今河を渡してくれと頼みます。最初は明日になって水かさが引いたら渡してやると断るのですが、子供はどうしても今渡りたいと請願します。しかたがなく子供を背負いラインを渡るのですが、最初は軽かった子供が河の中央付近に来ると重くなり河渡しは今までなかった汗、いや冷や汗をかきます。それでも子供はますます重くなり、やっと対岸にたどり着くのですが、そこで河渡しは倒れ込みます。子供は十字架で老人に祝福し去っていく、老人は「やっと十字架の人にお会いできた」と感謝し、そこで息絶えたという話です。

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キリストを背負いライン河を渡り、聖人となったクリストフォロスの壁画

キリストから全世界の重みを知らされたということで、クリストフォロスと呼ばれ、14救難聖人の一人とされています。旅の安全の守護神にもなっており、ライン河に沿ってクリストフォロスがキリストを背負っている絵が建物にかかれていることが多いのです。ケルンの大聖堂の中にもあります。愚直と忍耐が好きなゲルマン人に好まれる民話のようですね。マルチン・ルッターが宗教改革をします。ルッターのローマ教会に対する批判はローマ教会が聖クリストフォロスの護摩を売りまいていたとことに対するものであるという話もあります。




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