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2008年02月25日

ホンブルク民俗博物館

ホンブルクの民俗博物館はややもすると右翼的色彩の強い展示が行われているのでないかと言う印象を与えてしまったかも分かりません。決してそうではなく、歴史を展示する結果そのような展示もせざるを得なかったというのがSchmittさんの解説でした。一般庶民の生活を紹介する展示もたくさんありました。その一部をここに紹介いたします。

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ホンベルク地方で使用されていた調理用暖炉です。暖房用も兼ねていたようです。

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ホンベルク地方で使用されていた調理用暖炉です。

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ホンブルク地方の厨房用暖炉です。再現されたものです。

107_4.jpgホンベルク地方では鋳鉄製暖炉だけでなく粘土による暖炉も使用されていました。

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ホンブルクが一時衰退したのも水飢饉によるものでした。このような水道の石製導管が発掘されています。
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2008年02月18日

ホンベルクの郷土博物館

ホンベルクの郷土博物館には暖房器具の歴史の展示があると聞いており一度訪問したいと考えていた。ホンベルクの観光局に連絡をしたところ、公開日は少なくかつ予約が必要との事であった。

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Hombergでは鋳造技術も早くからあったようで、鋳鉄の暖炉が多数展示されていた。暖炉は室内装飾品としても使用されたので、興味深い模様も見受けられる。暖炉の扉の模様であるが、天使が鹿を捕らえている。上にHombergと記されている。ゲルマン人は狩猟民族であったのだ。

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ホンベルクの郷土渡博物館では日本で約束した時間と1分も違えることなく説明に来てくださったSchmittさんです。熱っぽく郷土の歴史を2時間にわたり説明してくださいました。

2007年6月23日(土)午後2時を指定し、2時少し前から博物館の前で立っていると正に2時00分担当のシュミット(Schmitt)さんがにこやかに現れ、固い歓迎の握手をしてくださり内容の説明をしてくださった。

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2.65 mの鋳鉄製暖炉にある皇帝ヴィルヘルムT世の像。

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高さ2.65 mの巨大な鋳鉄製暖炉。模様は皇帝ヴィルヘルムT世、皇帝ヴィルヘルムU世を描き、戦勝祈念の暖炉と考えられる。

見学者は小生一人、そのために専門家が丁寧に案内をしてくださる。至福の2時間であった。

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2.65 mの鋳鉄製暖炉にある皇帝ヴィルヘルムU世の像。ヴィルヘルムU世は1888年ヴィルヘルムT世の没後フリードリッヒV世の短い治世を経て1918年に即位。プロイセンを大国にし、ドイツ統一を果たす。

ここでは数ある郷土の展示から暖房器具に的を絞って説明をしたい。ホンベルクに関し、ホンベルクという名前とホンブルクという名が出てきて混乱を与えているようである。ベルク(Berg)は本来「山」を意味する。ブルク(Burg)は城や城塞を意味する。地名としてあるHombergにある城塞がHomburgである。

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2.65mの巨大鋳鉄製暖炉にある先広十字(Tatzenkreuz)。オーストリアやプロシャの将軍がつけた勲章です。このような模様からプロシャの国威掲揚の暖炉であったのでしょう。

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鋳鉄製暖炉の模様にはプロシャ帝国を示す暖炉扉の模様も展示されています。

このような例はフランクフルトからマイン河を80 km程さかのぼるミルテンベルクにも見られる。町の名はMiltenbergであるがそこにある城塞はMiltenburgである。

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この鋳鉄製暖炉の横に立つ像はヘルマンの銅像です。ヘルマンとは9世紀に現在のドイツの土地はローマ人に支配されていたのですが、ローマの将軍ウア−ルスを破ったゲルマンの将軍です。ローマの歴史家タキトウスの著書「ゲルマーニア」に出てくる話で、この本ではヘルマンは「アルミニウス」となっています。「トイトブルグの森の戦い」と記され、最近この森がオスナブリックの北20 km程のところにあるKalkrieseであることが分かりました。
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2008年02月11日

ホンベルク(Homberg)

ヘッセン州にホンブルクという町がある。ここに郷土博物館があり、ドイツの伝統的な暖房器具の展示があるというので、出かけてみたかった。

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ホンベルクの町の中心部。中世の面影を残す建物が並ぶ。一方で修復工事も盛んである。

初めての町に出かけるときにドイツ鉄道のインターネットで調べると町の名は出てきて鉄道の連絡も分かる。しかしこのホンベルクは例外であった。

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ホンベルクの立派な木造木組み住宅。柱、梁は太い材木が使用され、長い風雪に耐えてきました。

地図で見るとカッセル(Kassel)の南約50 kmの所にあるのだが、昔あった鉄道も廃線になりWabernという鉄道の駅からバスで入るようである。Wabernの駅に降り立ちバスの時刻表を見ても一日に数本しかバスは来ない。やむなくタクシーでホンベルクを訪問、観光局から予約してあった宿に投宿した。

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ホンベルクの町の郷土博物館。担当者が指定された時間に迎えに来てくれた。説明も大変に丁寧であった。

ここの観光局は至れりつくせりで約束の時間に郷土博物館を訪問すると案内人が出迎えてくれ丁寧に説明をしてくれた。町の高いところに城跡がある。高いところにある城という意味からHohenburgと呼ばれ、町の名前Hombergもここから来たそうである。

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ホンベルクの町の中心にある聖母教会(Marienkirche)は修復中であった。町のあちこちで建物の修復が行われている。

1526年に町の中心にある教会(聖母教会:Marienkirche)でヘッセン公爵フイリップT世(PhilippT世)がホンブルグ司教会議を開いたとのことである。

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ホンベルクのお城ホンブルク(Homburg)は町の高いところにあります。この結果水飢饉にあったのでしょう。お城には150mの深さの井戸があります。お城から見た町の風情です。町の中心部は中世の佇まいを残していますが、その周辺は一般の町と同様近代住宅が建ち並びます。

しかし高い場所にあることから水飢饉により町は何度も危機に襲われたそうである。現在は木造木組の建物が多数残る、中世の面影を残す静かな町になっている。

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ホンベルクの城跡Homburgここに150 mの深さの井戸があります。
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2008年02月04日

ツェレ(Celle)の木造木組建物

ツェレ(Celle)には、どんな路地に入ってもカラフルな木造木組の建物が残っている。まるでおとぎの国に飛び込んだような錯覚に陥る。昔と同じように修復も行われ、おとぎの町を現在に伝えている。この町に来ると時間の経つのを忘れてしまう。この町が歴史に現れるのは西暦900年になってからである。かっては今のツェレの中心から3 km程離れた現在”古いツェレ(Altcelle)”と呼ばれるところにあった。リュ−ネグルグのハイデに入る町としても有名である。

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ツェレの町は戦災を受けましたが多く木造木組みの建築があった町でした。現在は昔と同じように復旧されて町並みができています。

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左の手前はモダンな靴メーカーのチェーン店です。伝統的な建物に上手く納まっています。

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再建なった木造木組の建物です。太い柱で2階を支えています。木は乾燥して使用すれば永久に使用することが出来ます。地球温暖化ガスである二酸化炭素排出削減のため木造建築のさらなる普及が大切であります。

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木造木組の建物が建ち並ぶツェレ(Celle)の町、ここは急いで走る必要はありません。馬車が似合います。

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ツェレ(Celle)の町に建つ建物です。
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