ホンベルクの郷土博物館には暖房器具の歴史の展示があると聞いており一度訪問したいと考えていた。ホンベルクの観光局に連絡をしたところ、公開日は少なくかつ予約が必要との事であった。

Hombergでは鋳造技術も早くからあったようで、鋳鉄の暖炉が多数展示されていた。暖炉は室内装飾品としても使用されたので、興味深い模様も見受けられる。暖炉の扉の模様であるが、天使が鹿を捕らえている。上にHombergと記されている。ゲルマン人は狩猟民族であったのだ。

ホンベルクの郷土渡博物館では日本で約束した時間と1分も違えることなく説明に来てくださったSchmittさんです。熱っぽく郷土の歴史を2時間にわたり説明してくださいました。
2007年6月23日(土)午後2時を指定し、2時少し前から博物館の前で立っていると正に2時00分担当のシュミット(Schmitt)さんがにこやかに現れ、固い歓迎の握手をしてくださり内容の説明をしてくださった。

2.65 mの鋳鉄製暖炉にある皇帝ヴィルヘルムT世の像。

高さ2.65 mの巨大な鋳鉄製暖炉。模様は皇帝ヴィルヘルムT世、皇帝ヴィルヘルムU世を描き、戦勝祈念の暖炉と考えられる。
見学者は小生一人、そのために専門家が丁寧に案内をしてくださる。至福の2時間であった。

2.65 mの鋳鉄製暖炉にある皇帝ヴィルヘルムU世の像。ヴィルヘルムU世は1888年ヴィルヘルムT世の没後フリードリッヒV世の短い治世を経て1918年に即位。プロイセンを大国にし、ドイツ統一を果たす。
ここでは数ある郷土の展示から暖房器具に的を絞って説明をしたい。ホンベルクに関し、ホンベルクという名前とホンブルクという名が出てきて混乱を与えているようである。ベルク(Berg)は本来「山」を意味する。ブルク(Burg)は城や城塞を意味する。地名としてあるHombergにある城塞がHomburgである。

2.65mの巨大鋳鉄製暖炉にある先広十字(Tatzenkreuz)。オーストリアやプロシャの将軍がつけた勲章です。このような模様からプロシャの国威掲揚の暖炉であったのでしょう。

鋳鉄製暖炉の模様にはプロシャ帝国を示す暖炉扉の模様も展示されています。
このような例はフランクフルトからマイン河を80 km程さかのぼるミルテンベルクにも見られる。町の名はMiltenbergであるがそこにある城塞はMiltenburgである。

この鋳鉄製暖炉の横に立つ像はヘルマンの銅像です。ヘルマンとは9世紀に現在のドイツの土地はローマ人に支配されていたのですが、ローマの将軍ウア−ルスを破ったゲルマンの将軍です。ローマの歴史家タキトウスの著書「ゲルマーニア」に出てくる話で、この本ではヘルマンは「アルミニウス」となっています。「トイトブルグの森の戦い」と記され、最近この森がオスナブリックの北20 km程のところにあるKalkrieseであることが分かりました。
posted by 田中の住居学 at 00:00|
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