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2008年04月28日

ホンベルクの宿

ホンベルク(Homberg)では町の観光局が世話してくれた庶民的な(家族的な?)宿に泊まりました。

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宗教がらみの絵は多く見られます。

町が鉄工業で賑わったホルツハウゼン(Holzhausen)に近いものですからこの宿の壁には鉄製の飾りが沢山掛けてありました。

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Fritzlarのドームというタイトルが付いています。Hombergに来るのにドイツ鉄道(Bundesbahn)のWabernで降りてタクシーで来た事を紹介しました。WabernからHombergと反対側5km程の所にFritzlarがあり、ここのゴッシクドームは有名です。

この町は1週間位滞在し休暇を楽しみに来る人が多いようです。他の宿泊客は宿の庭でゆっくり日光浴を楽しんだりしていました。小生のように博物館や町並み、お城を短い時間で駆けめぐるような事をしません。

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バラをモチーフにしたものでしょうか?

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昔の将軍の像でしょう。

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年上の子供が弟たちに食物を分けている像です。よく見ると猫と犬が餌を食べていますね。

1泊して翌朝宿代を払おうとしたら女主人に「もうお帰りかい?なにか私共に手落ちでもありましたか?」と怪訝な顔をされました。「いえ最初から市の観光局に1泊でお願いしていました」と申し述べ次の町Stuttgartへ向かった次第です。

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馬車に荷物を積んで、どこかへの移動でしょうか?

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これはヘルマン記念像と呼ばれます。9世紀までドイツの土地はローマ人によって支配されていました。それがゲルマンの武将アルミニウスがローマの武将ヴァールスを破りローマ人を追放します。アルミニウスのドイツ名がヘルマンです。この戦場がトイトブルクの森と言われましたが実際は最近カルクリーゼであった事が証明されました。この像の実物はトイトブルグの森に立っています。この像は国民の拠金、国家の決議による援助で建設され愛国的、軍事主義的よりどころとなりました。


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2008年04月21日

ボーマン博物館のカッヘル

カッヘルオフェン(陶製暖炉)のカッヘル(Kachel)とは化粧タイルのことです。これには実に様々な模様があり楽しいものです。宗教がらみのものからその土地の権力者、動物、植物等々。Celleにあるボーマン博物館には様々なKachelofenとKachelの展示があります。

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どなたか高僧の像でしょうか。カッヘルに用いられたものです。

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土地の公爵か名前も入っていますが、良く読めません。カッヘルのデザインです。

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かなり漫画チックに描かれていますがCaroll王と読めます。

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かなり込み入った像が描かれています。

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カッヘルオーフェンの例です。燃焼部は鋳鉄で出来、ここでも馬が空を飛ぶ模様が付いています。上部はカッヘル(Kachel)と呼ばれる化粧レンガで覆われています。陶製なので、熱容量が大きく火が消えてもすぐに室温が下がる事はなかったそうです。このような暖房は温水暖房として発達しました。このKachelにはいろいろのデザインが用いられています。
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2008年04月14日

ホンブルク郷土博物館の鋳鉄製暖炉

ホンブルクの近くにホルツハウゼン(Holzhausen)という村があり、古くから鉄工所がありました。そこで鋳鉄製暖炉が製造されました。ホンブルクの郷土博物館には当時のカタログや製品の展示があります。暖炉の模様が大変凝っているのに感心します。

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Hombergの郷土博物館にはそこの製品や当時のカタログが展示されています。

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ホルツハイゼンの鉄工所で製造された鋳鉄製暖炉がホンベルクの郷土博物館に展示されています。

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ホルツハウゼンの鉄工所で製造された鋳鉄製暖炉に付いていた模様です。

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これもホルツハウゼンで製造された鋳鉄製暖炉の焚き口の扉です。ここにホンベルクの近傍のホルツハウゼン鉄工所と書いてあります。ホルツハウゼンはドイツに良くある地名で、他の場所にもあります。ホンベルクも他にもあり、郷土博物館があるのはHomberg/ Efzeと呼ぶのが正しいのです。

ホルツハウゼンの鉄工所で製造された鋳鉄製暖炉には当時の生活を描いたものも多く見られます。当時はこの地方で羊が多く飼われていたようです。

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ホルツハウゼンの鉄工所で製造された鋳鉄製暖炉の模様。日本の寺院の灯籠や五重塔の相輪に共通するものがあります。
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2008年04月07日

ミルテンベルクのホテルリーゼン

フランクフルトからマイン河を80 km程遡ったところにミルテンベルク(Miltenberg)という町があります。ここでマイン河が大きく蛇行するので航行する船から通行税を徴収するのに具合が良かったようです。

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リーゼンの客室はかってここに泊まった重要人物の名前が付いています。この部屋は12号室ですが、フリードリヒI世の部屋になっています。他にマリーアントワネットの母親であるマリアテレジアの部屋もあります。

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リーゼンの客室。近代のホテルは各部屋の規格を同一にすることでサービスの効率を上げています。この宿は古すぎて、各部屋の構成は全て異なります。共通点はテレビは置かないこと、インターネットサービスは無いことくらいでしょう。

ここに私がよく宿泊するリーゼン(Riesen)と呼ぶホテルがあります。1158年に建設され現在でも営業を行っております。日本で言うと平安末期になりますから大変な事です。

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リーゼンの客室です。柱、梁は太い材木が使用されています。主要構造が材木であることにより、1158年に建設されたホテルが現在でも使用されています。

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リーゼンの1階受付です。天井には太い材木の梁が使用されています。

スケルトンフィルのような建て方であったため、本来無かった中央式暖房や、エレベーターを設備することが出来たそうです。このホテルは歴史に出てくる有名人が多く宿泊しています。

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リーゼンの一階エントランス部分です。柱、梁の主要構造部は太い木材が使用されています。

「宿帳でもあったのですか?」とホテルのオーナー、イエルグさん(建築家でもあります)に聞きますと「宿帳は残っていないが、町役場に訪問者の記録があり、昔は町にこのホテルしかなかったのでリーゼンに泊まったのである」との説明でした。

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フランクフルトからマイン河を80 km程遡るとミルテンベルク(Miltenberg)という町があります。ここにリーゼン(Riesen)という1158年に建設されたホテルがあり、現在でも立派に営業をしています。1158年と言うと平安末期ですから大変な事です。私はよくここに宿泊しますが、2006年にファッサードの大改修をしました。このように古い建物も適宜改修を行うことで、保全が行われています。

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日本式で言うと4階にある食堂です。主要構造部が木造であることが分かります。

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リーゼンの客室へのエントランスです。現在では右の放熱器でお分かりのように温水暖房が施されています。昔は無かったはずです。
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