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2008年12月29日

バオハウス(Bauhaus)

ヴァルター・グロピウス(Walter Gropius)が1919年にヴァイマール(Weimar)に設立した建築と工芸の学校バオハウス(Bauhaus)は1924年にデッサオに移転した。この1919年はヴァイマール憲法が制定され極めて民主的で理想的といわれたヴァイマール共和国が出来た年でもあった。


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建築の歴史に残る重要建築の一つ」バオハウスです。グロピウスが校長をしていたので前の道をグロピウスアレーと呼びます。戦禍で痛みましたが修復工事も終了したようです。

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バオハオスの修復なった校舎部分


しかし保守的な風土があり、デッサオの方が工業都市として魅力的で、バオハオスはデッサオで開花されたと言う。バオハオスの建物、教授の宿舎などがユネスコの世界文化遺産に指定されている。


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バオハウスの中では展覧会の案内もありました。日本についてもあり、ポスターに日本の挨拶が使用されていました。抱擁や握手は駄目で、45度の頭を下げる挨拶が紹介されていました。

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バオハオス内の階段です。建物を明るくする楽しい階段に見えます

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バオハオスの入り口です。この学校は存続期間は長くなかったのですが、世界に影響を与えた多くの芸術家、建築家がここで育ったと思うと感慨の深いものがありました。

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2008年12月22日

テンペルホーフ飛行場2

西側の大空輸作戦により、これが「空の橋」と呼ばれた。このモニュメントは現在もテンペルホーフに建っている。2008年初頭ベルリン市は乗降客の減少、空港が市の真ん中にあることによる騒音問題、維持費が年間1,000万ユーロにも達することから閉鎖を決めた。しかし市民から反対運動が起こり、市民投票に掛けられた。

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冷戦の際に西側がDC3型機を使用して大空輸作戦を行いました。当時の西ドイツ政府も西ベルリンに対し、ベルリンと西ドイツ主要都市との飛行運賃に半額補助をするなどをして西ベルリン人口減少を食い止めました。これは「空の橋」のモニュメントです。

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2008年4月に行われたテンペルホーフ飛行場の存続を問う市民投票に賛成を呼びかける看板も多くベルリン市内に建てられました。

これは2008年4月に行われたが投票率が低く市の案のように閉鎖が確定し2008年10月30日多くの市民に惜しまれて閉鎖された。今後は現在のシェーネフェルド飛行場がベルリン国際空港として再整備される予定と聞く。テンペルホーフは住宅になるという説やスポーツ施設が出来るという説もあるが正式決定はされていない。

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市民投票に際し、存続に賛成を呼びかける立て看板

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テンペルホーフ飛行場には大空輸作戦当時の絵が残っています。J. F. ケネデイ−がテンペルホーフ飛行場に降り立ちシューネベルク市庁舎前で、「愛するベルリンの皆様、私も自由の名においてベルリン人であります!」とドイツ語で演説し、市民の喝采を浴びたことがありました。今この広場はケネデ−広場となっています。
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2008年12月15日

テンペルホーフ飛行場1

第二次世界大戦後の冷戦で、ソ連がベルリンを封鎖した際に西側による物資の空輸大作戦を行った拠点はテンペルホーフ飛行場であった。1923年に開講された歴史ある飛行場であった。この飛行場が2008年10月30日、85年の歴史に幕を下ろした。

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2008年10月30日に閉鎖されたテンペルホーフ飛行場

戦時中は軍用飛行場として使用され、筆者も1971年から73年までベルリン市に居住したので何回もこの飛行場を利用した。当時はジャンボも飛ばず、飛行機は大きく張り出したテンペルホーフの屋根の下に停止、客の乗降を行った。

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2008年10月30日に閉鎖されたベルリンのテンペルホーフ飛行場には中央飛行場の看板が残る。

これはヒットラーの案だったそうであるが、雨の日も濡れずに乗降ができた。東西分断の70年代には年間580万人が使用した。まさに主要空港であったが最近は定期航路はブリュッセル行きくらいで、多くはチャーター便であった。

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1970年代いつも多くの人で賑わったテンペルホーフ飛行場も閉鎖直前は人もまばらであった。

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テンペルホーフ飛行場の最寄りの地下鉄駅「空の橋」駅も飛行場閉鎖が決まり人もまばらになった。
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2008年12月08日

コリーン(Chorin)という村2

ブルーノ・タウトは1917年からエリカ・ヴィテイヒという女性と同棲し、1933年に日本にやってくる。エリカは正妻ではないが、当時の日本ではこのような倫理上良くないと考えたのかエリカをタウト夫人と書いている。

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湖の畔にここでタウト兄弟が青春時代を過ごしたという古いクロスターシェンケがあります。建物は再建されていて、かっての物ではありません。

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古いクロスターシェンケ(Alte Klosterschanke)の内部です。




エリカはタウトの仕事を十分以上に補佐し、トルコでタウト死去後もデスマスクと日本の重要人物との交換書簡を高崎の少林山達磨寺に届けるために来日している。そこでタウトの法要が営まれたが、エリカはその後、ドイツへ帰国、行方がわからないそうである。一方弟のマックスは生涯マルガレーテを伴侶として現在コリーンの修道院内の墓地に共に眠っている。

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昔Wollgast家の鍛冶屋があった所だそうです。

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歴史的な鍛冶屋との看板が今出ています。

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修道院の横にWollgast家の墓地があります。その中にMax Tautの墓が有り、妻Margarete Taut (Wollgast)と共に眠っています。ちなみに兄Bruno Tautの墓はトルコのイスタンブールにあります。

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2008年12月01日

コリーン(Chorin)という村1

コリーン(Chorin)という村はベルリン市の東北約50 kmのところにあります。ブルーノ・タウトも弟のマックス・タウトも青春時代にこのコリーンを尋ね、湖と森で英気を養いました。両兄弟ともコリーンの風景をパステル画にしています。

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コリーンの駅舎です。タウト好みの彩色が施されています。

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タウト兄弟はクロスターシェンケへ出かけ、その店の娘と結婚しますが、その店は今はありません。新しいクロスターシェンケ(Neue Kloster Schanke)という店がありました。




コリーンには中世の時代から修道院(クロスター:Kloster)がありました。17世紀30年戦争が終わった頃から廃墟になったそうですが、現在かなり修復が行われています。ここで鍛冶屋をしていた一族にヴォルガスト(Wollgast)家があり、クロスターシェンケ(Kloster Schänke)という食堂も営業したそうで、酒も飲め、ダンスも出来るというので、若者に人気があったそうです。

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修道院の近くに大きな湖があります。青年達はクロスターシェンケの娘達を誘い湖にボートをこぎ出したそうです。




タウト兄弟もここに出入りし、店にも出ていた三女のヘートヴィッヒ(Hetwig Wollgast)とブルーノ・タウトは結ばれます。後に妹のマルガレーテ(Margarete Wollgast)とマックス・タウトが結ばれます。

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修道院です。かなり修復されています。

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修道院の内部ですが、天井がまだ貼られていません。
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