
冷戦の際に西側がDC3型機を使用して大空輸作戦を行いました。当時の西ドイツ政府も西ベルリンに対し、ベルリンと西ドイツ主要都市との飛行運賃に半額補助をするなどをして西ベルリン人口減少を食い止めました。これは「空の橋」のモニュメントです。

2008年4月に行われたテンペルホーフ飛行場の存続を問う市民投票に賛成を呼びかける看板も多くベルリン市内に建てられました。
これは2008年4月に行われたが投票率が低く市の案のように閉鎖が確定し2008年10月30日多くの市民に惜しまれて閉鎖された。今後は現在のシェーネフェルド飛行場がベルリン国際空港として再整備される予定と聞く。テンペルホーフは住宅になるという説やスポーツ施設が出来るという説もあるが正式決定はされていない。

市民投票に際し、存続に賛成を呼びかける立て看板

テンペルホーフ飛行場には大空輸作戦当時の絵が残っています。J. F. ケネデイ−がテンペルホーフ飛行場に降り立ちシューネベルク市庁舎前で、「愛するベルリンの皆様、私も自由の名においてベルリン人であります!」とドイツ語で演説し、市民の喝采を浴びたことがありました。今この広場はケネデ−広場となっています。