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2009年03月30日

ベルリンの大団地メルキシェスフィアテル(Märkisches Viertel)

第二次世界大戦後良質な住宅の普及を求めて計画された大団地でライニケンドルフに出来た。1950年に計画が始められ、1965年頃から入居が始まった。当初は樹木も成長が遅く、あまりにも人工的な町として芳しからぬ評判もあったが団地内に商店、学校、幼稚園、協会、医院を配備し、斬新的な大きな住宅団地であった。東西ベルリンを分けたベルリンの壁の近くであった事もあり当時は交通の便も悪かったが、現在では解消している。また当初植えられた樹木も現在では生長し落ち着いた住宅団地に変貌している。


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建設当初あまりにも人工的な団地であったので批判もありました。そもそもドイツ人は高層建築を好まず、ましてや高層住宅には非難がありました。しかし建設後40年、樹木も生長し、それなりの落ち着きを感じるような住宅団地になっていました。

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メルキシェスフィアテルの大住宅団地も築後40年と言う事で、改修工事も進んでいます。このように定期的に改修を行うことに寄りドイツの建築は長く使用されています。ここでは外断熱改修工事が行なわれていました。

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メルキシェスフィアテルの大住宅団地の外断熱改修です。断熱材料として土に接する部分は押し出し発泡スチレンが、地上部分はビーズ発泡スチレンが使用されています。

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メルキシェスフィアテルの団地です。省エネルギーの外断熱改修があちこちで行なわれ、足場が掛かっている住宅が多数見受けられました。


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2009年03月23日

ベルリンの近郊リュバルス

ベルリンはドイツの大都市としては歴史の浅い町である。ところどころに先住民が住んでいた場所がある。このリュバルスもその一つで、茅で作った先住民の住宅の模型などもある。現在も牛や馬そして鶏と牧畜が盛んな場所である。ベルリンは東西ドイツが併合し大都市として発展をしているが、このようなのどかな場所がいたるところに存在するのは羨ましい次第である。


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リュバルス(Luebars)には動物が沢山います。馬も飼育されています。この馬は開店する道具の上をひたすら歩いています。さっぱり前進はしませんが、汗をかいています。

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リュバルスはベルリンの郊外ですが、目をやるとこのように荒野が広がっています。ところどころに池や湖もあります。

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リュバルスに残る先住民の竪穴式住居の模型です。日本に残る竪穴式とそっくりですね。

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馬術も盛んで乗馬学校もあります。
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2009年03月16日

ブレーメン

ブレーメン(Bremen)はドイツの北部ヴェーザー(Weser)河沿いにあり、ドイツではハンブルグ(Hamburg)に次ぐ大きな港町である。しかしヴェーザー河が北海に注ぐところにはブレーマスハーフェン(Bremershafen:ブレーメンの港)と呼ぶ町があり、第二次世界大戦で近隣諸国を震撼せしめた潜水艦ウーボート(U-Boot)が今でも係留されていて内部を見学する事ができる。ブレーメンは戦争の被害が少なかったので、多くの古い建築が残っている。


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ブレーメンでは「ブレーメンの音楽隊」が有名です。ブレーメンに行って音楽士になろうとしたロバ、犬、猫、ニワトリが結局ブレーメンには行けなかったという話ですが、その像が市庁舎の前にあります。ロバの足に触れると幸せになるという伝説があり、ロバの足だけ磨き上げたようになっています。

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ブレーメンの旧市街にはバロックの建築物が多数残っています。

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ブレーメンの市庁舎です。

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ブレーメンの旧市街です。

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ブレーメンには半円柱の形態の建物もあります。
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2009年03月09日

ブルーノ・タウトの作品「チーズカバー」

ブルーノ・タウトが表現主義の建築家と呼ばれたときの作品でヴォルプスペーデ(Worpswede)のヴァイアーベルク(Weyerberg)と呼ばれる小高い山の上に建っている。

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チーズカバー外観

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チーズカバー入り口、寒地の建築だけに風除け室がある。


この住宅は文筆家エドヴィン・ケンネマン(Edwin Könnemann(1883〜1960))がブルーノ・タウトに依頼し1926年に建設したものである。半円球の形をしているところからチーズカバー(Käseglöcke)の愛称を持つ。本来はタウトがマクデブルグで展示会に展示した物を実現したものである。


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円形住宅の中央に暖炉があります。この暖炉に寄り住宅全体に暖が採れるように工夫されています。寒地では暖房が大切でした。この暖炉は彫刻家カール・ピーニングにより設計されました。暖炉は単に暖房の機械としてではなく、重要な装飾品でもあったのです。

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チーズカバーの2階には客室が2つあります。客室と言っても作り付けの小さなシングルベッドがあるだけです。

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チーズカバーに置かれている椅子は芸術的です。

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居間ですが、内部は木造建築です。
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2009年03月02日

ヴォルプスベーデ(Worpswede)

ドイツの港町ブレーメンの北20kmにある。ブレーメンからはブレーマスハフェン行きの電車に乗っていく事ができる。電車は沼沢地を走って北へ進む。ここの沼沢地は悪魔の沼沢地(Teufelsmoor)と呼ばれ、恐らく開拓に大変な苦労を伴った地域なのであろう。

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ハインリッヒ・フォーゲラーの業績展示があるバルケンホフと呼ばれる住宅

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ヴォルフスベーデの村役場

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ヴォルフスベーデの民家

列車の進行と共に馬や牛の群れが時々姿を表しまた湖と池が見えては消え去っていく。ヴォルプスベーデ(Worpswede)は社会主義者の建築家であり画家でもあったハインリッヒ・フォーゲラー(Johann Heinrich Vogeler(1872〜1942))ら著名な芸術家が纏まって住んだ村として知られている。その伝統は今も引き継がれ現在も多くの画家、陶芸家、音楽家などが住んで活動を行なっている。

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ヴォルフプベーデの村には彫刻の屋外展示がある

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ヴォルプスベーデの屋外彫刻展示場

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ヴォルプスベーデの民家
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