ライネ通りの集合住宅はブルーノ・タウトにより設計され1925〜1928年にノイ・ケルン地区に建設されました。1期工事は1925〜1926年、2期工事は1927〜1928年に行われました。191戸の住宅があります。4つの道路に囲まれた矩形の土地に”ロ“の字型に建設されています。この付近の区画整理は1980年に計画され、1905年から1914年にかけて実施されました。区画整理された道路の区画に収まるようにこの集合住宅は建設された。ワイマール共和国時代の典型的な都市内勤労者用集合住宅といえます。タウトはこの集合住宅で集合住宅建設の形態と秩序を完成させたとも言われています。1951年に戦災で破壊された部分の再建が行われ、1966年に改修が行われました。この集合住宅はベルリン市内のテンペルホーフ飛行場(Flughafen Tempelhof)に隣接して建設されました。

この集合住宅の外観です。この建物も5階建てで地下があります。当時の標準と言えます。

この集合住宅の玄関とその上にある階段室の外観です。

中庭に立つ子供の遊び場の使用に関する注意を記した看板ですが、ドイツ語とトルコ語で書かれています。事実このノイ・ケルン地区、並びにクロイツベルク地区はトルコ人の労働者が多く住んでいます。

この集合住宅の中庭側から撮影したものです。ドイツの集合住宅の中庭で多くの場合芝生が植えられ、ここでもドイツ人が好む樅の木が植えられ成長しています。樅の木をドイツ語でタンネ(Tanne)と言いいす。ドイツ人の好む歌で特にクリスマスが来ると歌われるのがO, Tannebaum, O Tannebaum, wie true sind deine Blatter!というものがあります。「モミの木よ、モミの木よ、(冬にも)緑を保つお前の葉は何と誠実な事か!」という歌ですが、わが国でも「モミの木、モミの木・・・」と訳されて歌われています。
posted by 田中の住居学 at 00:00|
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建築家ブルーノ・タウト
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