これは家畜小屋であった。当時は馬が飼育されていたか、ヤギなどの小動物が飼育されていた。まさにベルリンという都会にあって田園都市の生活を享受するというブルーノ・タウトの理想が表れている。1936年にファッサードの変更が行われた。第二次大戦で7戸の住宅が破壊されたが、1981年に再建され、再度1990年代にリフォームも行われた。

パウル・ケーニッヒ通り(Paul Königstr.)の住宅です。外壁は明るい黄土色に塗装されています。まさにベルリンという都会にあって田園都市の生活を享受するというブルーノ・タウトの理想が表れています。

同じくパウル・ケーニッヒ通り(Paul Königstr.)の二つの住宅の接合部を示します。この接合部が家畜小屋でした。当時は馬が飼育されていたか、ヤギなどの小動物が飼育されていました。

同じくパウル・ケーニッヒ通り(Paul Königstr.)の二つの住宅を示します。ここでは屋根にトップライトが設けられていることが分かります。当時から昼光の有効利用が考えられていました。しかしトップライトは建設工事を失敗すると雨漏りの原因ともなります。

パウル・ケーニッヒ通り(Paul Königstr.)がロータリーになっています。そこで、住民の話し合いや野外パーティーや祭りが行われたそうですが、その部分です。写真で芝生の部分が住民交流の場であったのです。敷地の有効利用だけを考慮すればこのような広場は省略されそうですが、タウトは単に住宅を設計するだけではなく、このような住宅団地においても住民の生活はどうあるべきかを考えた人でした。