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2009年08月24日

ブルーノ・タウトがベルリンのホーエンシェーンハウゼン(Hoenschönhausen)に設計した住宅群

この住宅群は旧東ベルリンのホーエンシェーンハウゼン地区にある。高架鉄道(S-Bahn)のゲーレンゼン通り駅(Gehrenseestr.)の西約1.5 kmにあります。パウル・ケーニッヒ通り(Paul Königstr.)を挟んで、北側と南側に住宅は並んでいます。個人の所有で、ブルーノ・タウト設計分としては43世帯分の住宅が建っています。2世帯住宅、独立住宅、そして1棟ではありますが連続住宅もあります。建築主はベルリン市でした。パウル・ケーニッヒ通り(Paul Königstr.)に広場を設け、住民の交流の場としての利用、お祭りを催すことも可能な広場を設けました。この地区は田園地帯です。住宅と田園の合体、都市にありながら故郷の感覚を住民が享受できるように配慮されました。1926年から1927年にかけて建設が行われました。
これは家畜小屋であった。当時は馬が飼育されていたか、ヤギなどの小動物が飼育されていた。まさにベルリンという都会にあって田園都市の生活を享受するというブルーノ・タウトの理想が表れている。1936年にファッサードの変更が行われた。第二次大戦で7戸の住宅が破壊されたが、1981年に再建され、再度1990年代にリフォームも行われた。


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パウル・ケーニッヒ通り(Paul Königstr.)の住宅です。外壁は明るい黄土色に塗装されています。まさにベルリンという都会にあって田園都市の生活を享受するというブルーノ・タウトの理想が表れています。


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同じくパウル・ケーニッヒ通り(Paul Königstr.)の二つの住宅の接合部を示します。この接合部が家畜小屋でした。当時は馬が飼育されていたか、ヤギなどの小動物が飼育されていました。


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同じくパウル・ケーニッヒ通り(Paul Königstr.)の二つの住宅を示します。ここでは屋根にトップライトが設けられていることが分かります。当時から昼光の有効利用が考えられていました。しかしトップライトは建設工事を失敗すると雨漏りの原因ともなります。


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パウル・ケーニッヒ通り(Paul Königstr.)がロータリーになっています。そこで、住民の話し合いや野外パーティーや祭りが行われたそうですが、その部分です。写真で芝生の部分が住民交流の場であったのです。敷地の有効利用だけを考慮すればこのような広場は省略されそうですが、タウトは単に住宅を設計するだけではなく、このような住宅団地においても住民の生活はどうあるべきかを考えた人でした。
posted by 田中の住居学 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築家ブルーノ・タウト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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