この住宅は旧西ベルリンリヒターフェルデ(Lichterfelde)地区アドルフ・マルテンス通り(Adolf Martensstr.)14番地に建っています。この大邸宅はベルリンの高架鉄道(S-Bahn)リヒターフェルデ西駅(Lichterfelde-West)の直前に建ち極めて交通の便も良いところにあります。共同設計者はブルーノ・タウトが共同で建築設計事務所を主宰していたフランツ・ホフマン(Franz Hoffmann)です。建築物の彫刻家としてヴィルヘルム・レプゾルド(Wilhelm Repsold)も参加しています。タウトはベルリン郊外で高級住宅が建ち並ぶニコラスゼー(Nikolassee)に1908年から1909年にかけてフラム氏(Flamm)の大邸宅を設計しています。この邸宅は戦災も免れ、残っていましたが1970年に改造され、原型をとどめないようになりました。この大邸宅が話題を呼び、1910年にランベダンツ(Reibedanz)氏から賃貸の大邸宅の設計依頼を受けました。ライベダンツ氏は洗濯業を営み蓄財した人物でした。この大邸宅建設と同じ時期にベルリン市テンペルホーフ(Tempelhof)地区にやはりブルーノ・タウトの設計により水蒸気の洗濯工場を建設しています。フラム大邸宅をモデルにタウトはこの住宅もほぼ立方体で纏めている。かつそこに建築彫刻家を用いて湾曲した建築のモチーフを入れています。これは賃貸の大邸宅として設計され、シンケルの名を冠した建築学校がベルリン西郊に多くの高級住宅を建設しましたが、その方法に倣っています。ベルリンの町を形造った大建築家カ−ル・フリードリッヒ・フォン・シンケル(Karl Friedrich von Schinkel、1781〜1841)をブルーノ・タウトは尊敬していました。内部には多くの賃貸住宅を設け、外部は旧来のベルリン西郊の高級住宅に倣いました。各階床面積は250m
2で6室よりなっています。

この邸宅のアドルフ・マルテンス道り(Adolf Martensstr.)側の外壁です。北側の外壁になります。邸宅の前にはドイツ人が忠実な木として好むもみの木が植えられています。

庭側、南側の外壁です。ここでは湾曲した外壁の様子が分かります。地上4階建てそして屋根裏部屋があることが分かります。3階の中央にはバルコニーが設けられています。

東側の外壁です。東側にこの邸宅の入り口玄関があります。

東側外壁の玄関扉です。鉄製で樹木をモチーフにしたのか、白い飾りが付いています。左に複数の呼び鈴が付いています。この事からこの邸宅には多数の家族が住んでいることが分かります。玄関の上には雨よけの庇がついていますが、かなり凝った模様も施されています。庇の内側は銅板です。
ブルーノ・タウトは沢山の集合住宅を建設し、住宅に困窮したベルリンの労働者の生活と健康に配慮した“社会主義建築家”として知られています。しかし一方で富裕階層からの依頼も拒むことなく大邸宅の設計も行ったのです。
posted by 田中の住居学 at 00:00|
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建築家ブルーノ・タウト
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