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2009年11月30日

ブルーノ・タウトが1924年に設計したマールスドルフの住宅団地

発注者はリヒテンベルグのガルテンハイム共同住宅組合(Gmeinnutzige Siedlungsgenossenshaft Lichtenberger Gartenheim eGmbH: LIGA)」でベルリン市マールスドルフ(Mahlsdorf)地区に田園都市調の約250戸の規格化された独立住宅です、2家族住宅が点在して建設されています。1924年から1931年にかけて建設されました。設協同組合DEWOGの役員をマルチン・ヴァーグナー(Martin Wagner)が務めており、GEHAGとの共同で建設が行われ、ブルーノ・タウトがGEHAGの主任建築家として設計に当たりました。1924年に建設が始められたものですが、タウトはここでも将来の自動車の普及を予測していた。団地内を自動車が高速で走り抜けないように敷地内道路を故意に曲げて配置し、かつ、石畳の道路としています。当時既に団地内においてすら車道と歩道との分離を行っています。

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団地内を自動車が高速で走り抜けないように敷地内道路を故意に曲げて配置し、かつ、石畳の道路としています。当時既に団地内においてすら車道と歩道との分離を行っています。

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団地内の2家族住宅です。切り妻屋根ですが、瓦は最近交換されたものでしょう。住宅の背後には広い庭があり、田園生活を楽しめるようにしてあります。事実果実のなる樹木が植えられていました。道路側に狭い敷地であるにも拘わらずりんごの木が植えられ、丁度たわわになっている状態でした。かなり熟していたが、これをもぎ取り持って行く人もいないという都市の生活は羨ましく思いました。

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これも2家族住宅です。右側の住宅は損傷がやや激しくなっています。ここは旧東ベルリンであるので、ベルリンの壁崩壊から20年経過しても経済状態が厳しい家庭もあるのでしょう。それに対し、左の住宅ではガラス窓も入れ替え、最近の断熱気密カラスが挿入されていました。

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住宅の玄関を示します。ここでも深い降雪を予想して段を上って室内に入るようになっています。住宅の隅角部にレンガを配置してアクセントとしている。黄色と濃い海老茶の扉を設けてややもすると単調になる集合住宅に彩を添えています。各戸に微妙な色彩の差を設けて住宅が単調にならないように配慮しています。この住宅には「記念建築物保護」のマークが付けられていました。


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2009年11月23日

ブルーノ・タウトが1924年に設計したトレッビン(Trebbin)の住宅団地

ベルリン郊外のテルトー・フレミング(Teltow Flämming)地区のトレッビン(Trebbin)にこの住宅団地はあります。ある。建築協同組合“トレッビン”が計画したものでトレッビンは発注者であり、所有者でもあります。郊外の広々とした敷地に16棟の住宅が建っています。その内4住宅は2家族住宅です。これはGEHAGの主任技師としてブルーノ・タウトが初めて行なった物件であります。建築協同組合“トレッビン”とGEHAGの共同の仕事とも言え、1924年に建設が開始され1926年に終了しています。これはタウトが主張していた田園で労働と生活を共同で行なうという理想郷を作ろうとしたものでありました。各戸に畜舎と菜園となる庭園を設け自給自足が可能になるように考えられました。皆切妻屋根でまずヘップナー通り(Höpfnerstraße)に添って入り口の4棟が建設されました。それ以外の4棟はタウトと異なる設計者が設計していますが、この設計はタウトの思想に添って行なわれました。ベルリンの中央からは距離はあるものの、車を使用すれば比較的楽に通勤もできるものであります。

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ジードルングの一番右の2家族住宅です。ヘップナー通り(Hopfnerstrase)1番地の番号がついている、半地下室を持つ地上2階建てで、1階へは段を上って入るようになっています。ベルリンの郊外で、恐らく降雪が深い場合には住宅に入るのにこの程度の段が必要であったのでしょう。


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えんじ色に着色された2家族住宅です。やはり深い降雪に対する対策がなされています。

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団地の拡がりと背後の森林を示しています。タウトはこのような環境で居住者の共同生活を実現させようと考えたようです。

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敷地内にあった看板で、この“フライエショレ”協同組合団地が1990年に75周年を迎えた事を記念するものです。現在の住人もタウトの思想を尊重し、このような看板を設置したものと考えられます。
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2009年11月16日

ブルーノ・タウトの設計したコトブサーダムの商業建築

ブルーノ・タウトは1920年代に多くの勤労者向け集合住宅を設計した建築家として紹介を行ってきた。しかし数は多くないものの商業建築も設計している。ここに2つの商業建築を紹介する。
コトブサーダム2- 3番地(Kottbusser Damm)の賃貸・商業建築はベルリン市ノイケルン(Neukölln)地区コトブサーダム2〜3番地にある。1910年から1911年にかけて建設された。地下鉄(U-Bahn)のシェーンライン通り駅(Schönleinstr.)の直前にある。主に平面計画は建築家アルトゥール・フォクト(Arthur Vogdt)により実施され、ブルーノ・タウトはファッサードの設計を行っている。所有者はアルトゥール・フォクトであった。この建物の中に映画館があり、この内装はタウトが行なった。しかし戦災後この映画館は無くなっている。第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたが1977年から1978年にかけてファッサードは以前と同じ状態に復興された。タウトは同じ時期に同じコトブサーダム90番地にもやはりアルトゥール・フォクトの依頼により賃貸商業建築を設計している。

コトブサーダム90番地の(Kottbusser Damm)の賃貸・商業建築商業建築はベルリン市ノイケルン(Neukölln)地区コトブサーダム90番地にある。1909年から1910年にかけて建設された。第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けたが1980年にファッサードは以前と同じ状態に歴史的建築物修復法により復興された。

タウトは賃貸建築の価値を上げることに腐心した。古い建築法規に拘束される事を嫌い、張り出し窓、外に出ない屋根付バルコニー、一般バルコニーを設け、ファッサードに工夫を凝らした。さらに彩色により、特徴を持たせ、建物に投機の価値を持たせた。19世紀の伝統的なファッサードとは異なり、ダイナミックなファッサードを実現した。


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コトブサーダム2- 3番地の商業建築

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コトブサーダム90番地の商業建築
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2009年11月09日

ダーレビッツに残るブルーノ・タウト設計の旧自邸(3)

ベルリンの南50 kmほどの所にダ−レビッツ(Dahlewitz)と言う村があります。ここにブルーノ・タウトが自ら設計し、台頭してきたナチス政権を逃れて来日するまで住んでいた旧宅があります。現在の所有者である画家の婦人は音楽の才能にも優れ、旧宅保存資金確保のためにタウト命日の12月24日にチャリティーのコンサートを開いたり、積極的に活動をしてきました。このチャリティ−コンサートでは自らチェロを演奏し、楽団員は殆どが婦人のご家族でした。婦人は旧東独の年金生活者で「ついに保全の資金も尽きた」として日本に援助を依頼してきた次第です。しかし婦人の必死の努力(タウトの功績を公開する展示会の開催等)で修復のための公的資金を得られるようになった事は、わが国に取っても喜ばしいことと考えます。


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現在の所有者である画家の夫人から見せていただいた写真です。タウトの相続人でタウト子息のハインリッヒ(後フンボルト大学教授)と旧宅の売買交渉をする婦人が写っています。偶然日本婦人も写っていますが、どなたか、なぜ此処に写っているかは分からないそうです。現在の所有者もどなたか知りたがっておられます。

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旧宅の残るダーレビッツのドイツ鉄道(Bundesbahn)の駅です。ガラスは今でも割れたままでベニヤ板で補修されています。公共鉄道の駅舎でもこのような状態ですから、いくらタウトの作品でも公的資金が保全のために注がれるのは無理だといわれていました。しかし努力の結果公的資金が修復に向けられたのです。

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外壁の窓ですが、このように塗装も剥げています。

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2階のバルコニ-部分の損傷です。冬季には気温が非常に下がる土地ですので、ひび割れに水が入り凍結するとコンクリートは剥落の危険性があります。

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タウトは桂離宮の襖の取っ手をほめていますが、タウト設計の自邸の扉取っ手も非常に凝っています。

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2009年11月02日

ダーレビッツに残るブルーノ・タウト設計の旧自邸(2)

ベルリンの南50 kmほどの所にダ−レビッツ(Dahlewitz)と言う村があります。ここにブルーノ・タウトが自ら設計し、台頭してきたナチス政権を逃れて来日するまで住んでいた旧宅があります。先週この住宅の保存について、「古いものを大切にするということで、ドイツ人の考え方に感服した次第です。」と書きました。

早速古い友人から電話があり、「君も古いものが好きなようだな、自分のうちの祖母さんの面倒を見てくれないか?」との要請でした。もちろん冗談でしょうが。ご本人長く勤めた会社を定年になり、これから第二の人生を楽しもうとしていた矢先老母に倒れられてしまったそうです。高齢化社会に入りこのような問題は増えるでしょう。さてダーレビッツのタウト旧宅修復工事にドイツ側が予算をつけてくれました。この10月にベルリンで様子を見て来ましたので、またこのブログでご紹介したいと思います。


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旧宅の窓枠も彩色されています。

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旧宅の外壁ガラスブロックはタウト初期の作品「ガラスの家」を髣髴させます。

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旧宅の2階居室です。現在の所有者はここをアトリエとしています。

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旧宅の階段です。タウト設計の階段はいつも特徴があります。旧日向別邸(熱海市)の階段も直階段でなく、最後のところで曲がりを設けています。

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旧宅1階居間の収納棚もタウトの設計です。引き出しに彩色されています。

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