タウトは1904-1906年Stuttgartのテオドール・フィッシャー建築事務所に勤務し、修行を行っている。この時に手がけた作品で現存するものがStuttgartの中心部から北東約40kmの郊外ウンターレキシンゲン(Unterrexiengen)に残っている。筆者らは平成21年10月にベルリンでタウト調査を行った後、ウンターレキシンゲンを訪問した。エコ建築家としてStuttgartの郊外エスリンゲン(Esslingen)で活躍している建築家ヴォルフガング・レーナート氏(Wolfgang Lehnert)に車で案内していただいた。この教会は村の教会(Dorfkirche)と呼ばれ決して規模は大きくない。村の教会は常時施錠されていて入れない場合も多い。しかも教会に連絡の取りようも無く、アポイント無しでの訪問である。最悪の場合は外部からの写真撮影だけでも仕方がないとして出かけた。

タウトが1906年に改修を行ったウンターレキシンゲンの教会

タウトが改修を行った祭壇
レーナート氏は訪問した日がたまたま土曜日であったことから、「日曜日の礼拝の為に教会関係者がその準備をしているはずでしょう」とたかをくくっていた。案の上、教会に着くと隣接する牧師館で「婦人会」というものが催されていて牧師の夫人に会うことが出来た。来意を告げると、「それははるばる・・・」と歓迎してくれ、自分は「婦人会で手が離せないが間もなくたまたま外出している牧師が帰ってくるはずだから、待っていてください。」とのことであった。秋のいつ降り、いつ止むとも分からない細雨が降り続いていた。少々寒く感じながらも水溜りを避けて教会の外部写真を撮っていると、トックリ首のラクダ色のセーターを着た元気そうな男性が走ってきた。牧師とは黒いガウンを纏った威厳のありそうな人と固定概念を持っていただけに以外であったが、この人がこの教会の牧師でヨッヘン・ヘーゲレ師(Pharrer Jochen Hägele)であった。再度来意を告げると、喜んで教会の鍵を開けて内部を丁寧に案内してくださった。

祭壇の裏にあるタウトの彫り

タウトにより改修された信者席

1695年からある伯爵席の紋章
ヘーゲレ牧師によるとこの教会は歴史のある教会で、歴代の牧師が教会に記録を残しているそうである。それによると教会の母体が出来たのは1441年になるそうであるが、当時の姿がどのようなものであったかは不明である。1627年に大風により鐘が壊れ、これを契機に教会を再建したそうである。後期ルネッサンスの形式で、その後も修理が行われ、1906年の改修がブルーノ・タウトによって行われ、祭壇の裏に、「B.T. 1906」という彫りがあることから、祭壇もタウトにより設計されたと考えられるそうである。牧師は我々に当時の牧師がタウトにこの改修工事に関して送った手紙のコピーを下さった。実に100ページを超えるもので、やはり教会の上部団体から取れる予算がタウトの設計の範囲に入るか、信者席の数、暖房の位置が良いか、パイプオルガンの設置等等に関するものである。タウトは牧師に彩色したスケッチを付けた手紙を送ったようで、牧師はこれに感激し、返書の中で謝辞を述べている。

タウトが改修を行った際に設置されたパイプオルガン
posted by 田中の住居学 at 00:00|
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建築家ブルーノ・タウト
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