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2008年12月08日

コリーン(Chorin)という村2

ブルーノ・タウトは1917年からエリカ・ヴィテイヒという女性と同棲し、1933年に日本にやってくる。エリカは正妻ではないが、当時の日本ではこのような倫理上良くないと考えたのかエリカをタウト夫人と書いている。

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湖の畔にここでタウト兄弟が青春時代を過ごしたという古いクロスターシェンケがあります。建物は再建されていて、かっての物ではありません。

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古いクロスターシェンケ(Alte Klosterschanke)の内部です。




エリカはタウトの仕事を十分以上に補佐し、トルコでタウト死去後もデスマスクと日本の重要人物との交換書簡を高崎の少林山達磨寺に届けるために来日している。そこでタウトの法要が営まれたが、エリカはその後、ドイツへ帰国、行方がわからないそうである。一方弟のマックスは生涯マルガレーテを伴侶として現在コリーンの修道院内の墓地に共に眠っている。

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昔Wollgast家の鍛冶屋があった所だそうです。

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歴史的な鍛冶屋との看板が今出ています。

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修道院の横にWollgast家の墓地があります。その中にMax Tautの墓が有り、妻Margarete Taut (Wollgast)と共に眠っています。ちなみに兄Bruno Tautの墓はトルコのイスタンブールにあります。



posted by 田中の住居学 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築家ブルーノ・タウト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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