
建築の歴史に残る重要建築の一つ」バオハウスです。グロピウスが校長をしていたので前の道をグロピウスアレーと呼びます。戦禍で痛みましたが修復工事も終了したようです。

バオハオスの修復なった校舎部分
しかし保守的な風土があり、デッサオの方が工業都市として魅力的で、バオハオスはデッサオで開花されたと言う。バオハオスの建物、教授の宿舎などがユネスコの世界文化遺産に指定されている。

バオハウスの中では展覧会の案内もありました。日本についてもあり、ポスターに日本の挨拶が使用されていました。抱擁や握手は駄目で、45度の頭を下げる挨拶が紹介されていました。

バオハオス内の階段です。建物を明るくする楽しい階段に見えます

バオハオスの入り口です。この学校は存続期間は長くなかったのですが、世界に影響を与えた多くの芸術家、建築家がここで育ったと思うと感慨の深いものがありました。