オッサー通りの集合住宅はブルーノ・タウトにより設計され、1927〜1928年に建設されました。オッサー通り(Ossastr.)に面して約170 mと長く建っており、オッサー通りと直交するヴァイヒゼル通り(Weichselstr.)とフルダ通り(Fuldastr.)にも面して平面的には“コ“の字の形で建設されています。ノイ・ケルン地区でもこの周辺は労働者の為の集合住宅建設地としてベルリン市住宅局が所有していた土地に建設されました。単にオッサー通りに面して170mの長い集合住宅を建設したのでは単調になるためにタウトはヴァイヒゼル通り(Weichselstr.)とフルダ通り(Fuldastr.)に集合住宅を曲げて建設し、全体にアクセントを付ける工夫をしました。住宅はどれも1室半(72 m
2)、もしくは2室半(98 m
2)で、そう広くはありません。

この集合住宅のゆるいカーブを描く白い外壁です。このような緩いカーブはオンケルトムズヒュッテの集合住宅にも見られるし、ブリッツの馬蹄形住宅も同様で、ブルーノ・タウトの得意技であるようです。

この集合住宅以外でもあるのですが、建物の隅角部にバルコニーを設置しています。これもブルーノ・タウトの得意技であります。

この集合住宅を調査していると「この集合住宅は1928年に東ベルリン共同建設会社(Gemeinnutzige Baugesellschaft Berlin-Ost mbH)により建設され、設計者はブルーノ・タウトである」という事を記した看板が見つかりました。

この住戸の厨房に付けられていた換気窓です。当時は厨房の排気は自然換気によっていたことが分かります。ガラス部分は一重ガラスを二枚使用した構造になっています。
posted by 田中の住居学 at 00:00|
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建築家ブルーノ・タウト
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