タウトが勤務していたマクデブルグ市の当時の市庁舎が残っています。この旧市庁舎は一旦戦争で破壊され復元されたものです。しかし地下は破壊されず、そこに食堂があり、タウトは昼食をそこで採っていたそうです。現在も地下室に食堂があります。筆者がテルトー(ベルリン郊外)の博物館で行われたブルーノ・タウト展を見学した際にはこの建物は派手に彩色されていました。しかし第二次世界大戦でこの建物は大きな損傷を受け、もとの形に復旧されたが、そのときに彩色はやめられました。タウトはマクデブルグで数々の建築を設計しますが、現存するものはオットー・リヒター通り(Otto・Richterstr.)の集合住宅です。町の中心から7kmほど離れた場所でかつ交通の便もよくなく、筆者らはタクシーを飛ばし、撮影を行い、再びそのタクシーで市内に戻りました。ベルリンのユネスコ世界文化遺産になった集合住宅は建築家ヴィンフリード・ブレンネ氏の手により、色彩の修復も行われました。当時のペンキの化学分析も行い忠実に元の色を再現したそうですが、オットー・リヒター通りの集合住宅はブレンエしには依頼が無く、当時の色彩の再現が行われ、どこまで忠実に再現されたか不明との事でした。ペンキは時と共に褪せることは確実で、丁度適当に褪せた時に周囲の雰囲気とマッチし、最高の調和がとれた状態にすれば良いとの考えもあります。筆者らが調査を行った時のオットー・リヒター通りの集合住宅は色褪せも始まらず、何と表現したらよいか分からない色彩でした。
ドイツの建築の色彩で派手なものを見るときに時々感じることがあります。「ドイツ人はこのような派手な建築色彩を許し、色彩音痴なのでないか」と。しかし我々が建築を見るのは多くの場合気候の良いときであって、実際は10月ともなると北ドイツでは重い黒い雲が垂れ込み、一体何時になったらこれが晴れるのかという天候が続きます。そして人々は建物内に篭もり、外部を出歩く事も少なくなります。そして降雪があります。このような重苦しい季節にこの派手な色彩が人々を冬の暗さから救ってくれるものなのです。

タウトが勤務したマクデブルグ市旧市庁舎です。戦禍を受けましたが復興しています。

タウトがマクデブルグに勤務中彩色した当時の市庁舎(テルト−のブルーノ・タウト展より)

タウトが設計したオット−・リヒター通利の集合住宅です。

ブルーノ・タウトが設計したオットー・リヒター通りの集合住宅です。

オットー・リヒター通りの集合住宅

オットー・リヒター通りの集合住宅

オットー・リヒター通りの集合住宅玄関扉です。