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2007年05月14日

戦争について思うこと

今米国議会で従軍慰安婦問題が議論されています。戦後生まれの人が75%を占める日本で、「従軍慰安婦って何のこと?」と思う人が殆どでないかと思います。日本人も自らの民族に誇りを持って生きていくのは当然ですし、そうあるべきと考えます。ドイツにおいても戦後生まれの人が大多数を占めるようになり、多くの人は戦争を知りません。

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「この恐怖の場所を我々は決して忘れてはいけない」との看板がベルリンの繁華街ヴィッテンベルグプラッツ地下鉄駅前に掲示されている。ここにはアウスシュビッツ以下12の強制収用所の名前が刻まれている。

しかしドイツ人が戦時中に行なった事を忘れないように、後世に伝えていく努力は一生懸命に行なわれています。日本の教科書に戦争の事は少ししか書いてありません。ドイツの教科書は非常に詳しく書いてあります。ベルリンの繁華街の地下鉄のヴィッテンベルグプラッツ駅前には「この恐ろしい事を決して忘れてはならない」としてナチス時代に強制収用所があった場所が看板として掲示されています。当然アウスシュビッツが一番上に書いてあります。ベルリン郊外のザクセンハウゼン収容所の名前も出てきます。ここの収容所も公開されており、当時の残虐性をそのまま伝えています。そして常に高校生が教員に引率され見学に来て、祈りを捧げています。

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ナチスドイツの時代に大量のユダヤ人が強制収用所に輸送されたベルリンのグリーネバルト駅は高級住宅街の中にある。

ベルリンの高級住宅地に郊外電車の駅グリーネバルトがあります。当時も富裕なユダヤ人が多くこの地に住んでいたそうです。しかしこの駅の17番ホームからユダヤ人が各地の強制収用所へ送られたそうで、現在はこのホームは使用しないで、保存されています。「何月何日に何名のユダヤ人が何処の強制収用所へこのホームから送られた」という事がホームに記入されています。ドイツ人のやる事だけにこういう統計はしっかり出来ています。

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「17番線のホームには1943年11月8日、50名のユダヤ人がベルリンからアウスシュビッツへ送られた」と刻印されている。

今でも花束が投げられている事があります。まさに終戦直前に強制収用所に送られたユダヤ人、これもよく見るとアウスシュビッツが殆どですが、涙が出て参ります。戦争の事を決して忘れないと言う決意、過ちを繰り返してはいけないと言う固い決意を示しているドイツと、まずい事はなにかうやむやにというわが国との差が感じられます。

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「17番線ホーム:1941年から1945年の間ドイツ帝国鉄道は列車により死の強制収用所に送り込んだことを忘れません。1998年1月27日ドイツ鉄道(株)」


posted by 田中の住居学 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
再び首藤です。
記憶を刻印し、未来に同じ失敗は二度と繰り返さないという決意は、私たちも見習いたいところですが、難しいようです。政治家たちの失言でわかります。
Posted by 首藤亮一 at 2007年07月06日 16:12
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