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2007年06月11日

陶製放熱器カッヘルオーフェン

4大文明の発祥の地は年中気候も良く、大した衣服を纏わなくても生活が出来る気候帯であった。しかし人間が生活圏を広げると共に、より寒い土地にも居住するようになった。現在のドイツにも遺跡として床下で燃料を燃焼し床を暖めるヒポカウステン暖房(Hypokaustenheizung)と呼ばれる暖房方式が見つかる。これはローマ人の暖房方式でローマ人が現在のドイツの土地に居住していた証明とされている。最も北で見つかったとされるものではトリア(Trier)に大きなヒポカウステン暖房(Hypokaustenheizung)の遺跡がある。これは規模こそ異なれライン河沿いのケルンやマイン河沿いのフランクフルト、ミルテンベルクなど多くの土地で発掘されローマ人が北上していたことを示している。この暖房方式はウィーンでも発掘されている。その後、ゲルマン人特有の暖房方式が発達するようになった。
人間は寒ければ当然様々な暖房方法を考えるもので、鋳鉄製の放熱器も存在したが、ドイツで特徴的なのは陶製放熱器カッヘルオーフェン(Kachelofen)である。これは現在でも古い住宅で使用されているし、復古調の動きにものり新築住宅で使用されている場合もある。
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うわ薬をかけ、光沢を出したカッヘルオーフェン。1914年にカール・ゼンセ社(Karl Sensse)で製造(Veltenの博物館にて)

燃料は固形、液体、気体と様々な可能性があるが、暖炉の表面は化粧タイルで仕上げられている。博物館や城などに残るものはかなり意匠的にも凝ったものが多いが、庶民の住宅で使用されたものは単に白いタイルで仕上げられたものもある。
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着色され、多彩な模様のあるカッヘルオーフェン。マルク・ブランデンブルク(Mark Brarndenburg)で16世紀にあったものを19世紀末に再度製造した。
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1902年にマイセンの製陶工場で製造された円形カッヘルオーフェン。意匠登録のため製造された。(Veltenの博物館)
カッヘルオーフェン(Kachelofen)は多くの場合室内の隅に置かれ、これから放射成分の多い放熱を行い、反対側の外壁内部を直接温めた。Kachelofenを中心として家族団らんの場ができた。
暖炉の内部には耐火粘土も用いられ、熱容量も大きくやわらかい暖房を行った。この「やわらかい暖房」が欧州の温水暖房に発展してきている。米国では開拓時代の名残か、幌馬車での移動生活からダルマストーブが用いられ、このカッカとした暖かさが現在の蒸気暖房に繋がったとされている。日本には欧州式の温水暖房と米国式の蒸気暖房が入ってきた。2007年3月にベルリンの郊外フェルテン(Velten)でカッヘルオーフェンの博物館を訪ねた。ここでの特徴的なカッヘルオーフェンを紹介する。
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Veltenの博物館には昔のカッヘルオーフェンのカタログも置いてあります。「練炭の種類を煤なしで燃焼するカッヘルオーフェン」と説明されています。
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家庭を築くと居間の中心となるカッヘルオーフェンを作ったか寄贈されたようです。1856年に結婚した夫婦の名前がデザインされています。(Veltenの博物館にて)



posted by 田中の住居学 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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