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2007年11月05日

ダルムシュタット

平成19年7月16日のブログでダルムシュタット(Darmstadt)のフンデルトヴァッサーハウスをご紹介いたしました。この町はフランクフルトから南へ40 km程度の処にあり、高架鉄道S-Bahnで行っても40分ほどで着いてしまいます。

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ペーター・ベーレンスが設計したベーレンスハウス

この町には工科大学があり、ベルリン工科大学ヘルマン・リーチェル研究所で1971年から1973年の間、師事致しましたエスドルン教授(Prof. Horst Esdorn)も、その前任者のライス教授(Prof. Wilhelm Raiß)もダルムシュタット工科大学出身でした。

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オルブリヒ設計の結婚記念塔

という事で、何となく憧れていた町でしたが、ここはヘッセン・ダルムシュタット大公国の首都であっただけに立派な建物が残っています。最後の大公エルンスト・ルードヴィッヒ(Ernst Ludwig)が芸術家を擁護し芸術家の村を造ろうとしました。これは19世紀末から20世紀初頭にかけての事でした。


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華麗な建築「オルブリヒハウス」

芸術村の中心地はマチルダの丘(Mathildenhöhe)でここに来るとユーゼフ・マリア・オルブリヒがルードヴィッヒ大公とマチルダ妃の結婚を祝して1908年に建造した結婚記念塔やペーター・ベーレンスが設計したベーレンスハウス、オルブリヒが設計したオルブリハウスなどを見ることが出来ます。

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19世紀末に建造されたベノイ設計のロシア教会

これはユーゲントシュティール(Jugendstil)に分類されます。ユーゲントシュティールはフランス語ではアール・ヌーボーと言います。我が国ではフランス語の方が一般的かも知れませんね。これ以外にもマチルダの丘ではロシア教会が有名です。
これだけユーゲントシュティールの建築がかたまって残っている場所も他になく、興味深い場所と申せましょう。

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休憩所


posted by 田中の住居学 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 街並み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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