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2007年12月03日

ザクセンハウゼン(Sachsenhausen)

我が国では「日本軍の関与により沖縄で集団自決があった」という記述ですら教科書から抹殺されそうになりました。ドイツと日本の戦後処理の相違がいろいろ言われています。
ドイツではベルリンの繁華街にかつて存在したユダヤ人強制収容所の地名を記し、「この事実を決して忘れてはいけない」と書かれています。

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ベルリンの繁華街に立つかって強制収容所があった場所を示す看板。下から5つめにザクセンハウゼン(Sachsenhausen)の地名がある。

ドイツにも右翼はいますが、この看板にペンキが吹きかけられたなどと言うこともありません。この看板にSachsenhausen(ザクセンハウゼン)という地名が見られます。これはベルリンの中心から北々西約40 kmの所にあり、郊外電車で行くことも出来ます。
ベルリンに一番近い強制収容所です。かつての収容所そのままに保存され、見学者を受け入れています。特に教員に引率され見学に来る高校生グループもいます。

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ザクセンハウゼンの強制収容所入り口にはアウシュヴィツ強制収容所と同様に「労働は自由を与える “Arbeit macht Frei”」と書かれている。

ドイツは戦争の被害を受けたと同時に仕掛け人でもあったことを永遠に忘れてはいけないという意志でこのような施設が公開されています。

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ザクセンハウゼンの強制収容所、収容者の集団トイレ
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収容者の服、収容者番号が記されている。
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ザクセンハウゼン強制収容所の寝室

ドイツの教科書も戦争の記述、特にナチスの蛮行に関する記述は実に詳しく書かれています。ドイツは近隣諸国と上手な付き合いが行われているのに対し、我が国はぎくしゃくした対応が続いています。

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当時の処刑法が描かれたパネル

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当時の政治犯の独房

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収容所における死体処理場


posted by 田中の住居学 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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