2007年9月3日のブログでシンケルが設計したベルリン市庁舎でドイツ外断熱協会創立50周年の記念大会が開催されたことを報告しました。

劇場(Schauspielhaus)ベルリン市中央ゲンドラーメン市場にあります。シンケルの設計で、1818年〜1821年に建設されました。この建物の両側にドイツの塔、フランスの塔と呼ばれる教会が建っています。
カール・フリードリッヒ・シンケル(Karl Freidrich Schinkel, 1781年〜1841年)はベルリンの郊外ノイルピン(Neuruppin)で生まれ、画家、建築家として特にベルリンに多くの古典的・ゴシックの公共建築物を残しました。

ベルリン市中央にある教会で、フリードリッヒスヴェルデルシュ教会と呼ばれます。シンケルの設計で、1824年〜1830年で建設されました。
ベルリンはプロシャの首都としてフリードリッヒU世(1712年〜1786年)の力により確固たるものとなりましたが、その後のベルリンの顔となる建築を次々に残しました。ベルリンにはシンケルの博物館もあります。

古い博物館(Altes Museum)と呼ばれる建物です。ベルリン中央のLustgartenにあります。シンケルの設計で、1823年〜1828年に建設されました。
氏の建築はギリシャ建築の精巧なる模倣と言ってしまえばそれまででしょうが、ギリシャ建築にはないドイツのシンボル「鷲」を配したり様々な工夫がなされています。ベルリンの町に重厚さを与えたのがシンケルの建築と言って差し支えないでしょう。

新監視所(Neue Wache)と呼ばれ、ウンターデンリンデンの4番地にあります。無名戦士の追悼碑にもなっており、旧東独時代はここで、衛兵の交代が行われました。シンケルの設計で、1816年〜1818年に建設されました。
1973年12月にベルリン工科大学ヘルマン・リーチェル研究所での滞在を終え帰国する際にエスドルン教授他研究所のスタッフが全員でシンケルとベルリンの本を贈呈してくださり、署名を頂きました。何よりの宝として現在も大切にしています。

ベルリンとポツダムの境界にあるグリニッケ城(Schlos Glienicke)1825年〜1827年にシンケルの設計により建設された。フリードリッヒV世の夏の館として使用された。近くにポツダムと西ベルリンを結んだグルニッケ橋がある。冷戦時代はここで、東側と西側の捕虜の交換も行われ、最も緊張した橋であった。
その時プロッツ教授がシンケルは自分と一緒のノイルピン出身であることを打ち明けてくれました。それは旧東独で当時は訪問が不可能でした。

シンケル設計によるグリニッケ城(1825年〜1827年)
プロッツ教授は当時から東独は長くは持たないという持論で、東西ドイツが統合されたら小生を案内すると約束してくれました。「不渡り手形」かとも思いましたが、実際に実現、いまから8年ほど前にプロッツ教授にシンケルの生家と教授の生家を案内していただきました。

シンケル設計によるグリニッケ橋
posted by 田中の住居学 at 00:00|
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