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2009年03月30日

ベルリンの大団地メルキシェスフィアテル(Märkisches Viertel)

第二次世界大戦後良質な住宅の普及を求めて計画された大団地でライニケンドルフに出来た。1950年に計画が始められ、1965年頃から入居が始まった。当初は樹木も成長が遅く、あまりにも人工的な町として芳しからぬ評判もあったが団地内に商店、学校、幼稚園、協会、医院を配備し、斬新的な大きな住宅団地であった。東西ベルリンを分けたベルリンの壁の近くであった事もあり当時は交通の便も悪かったが、現在では解消している。また当初植えられた樹木も現在では生長し落ち着いた住宅団地に変貌している。


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建設当初あまりにも人工的な団地であったので批判もありました。そもそもドイツ人は高層建築を好まず、ましてや高層住宅には非難がありました。しかし建設後40年、樹木も生長し、それなりの落ち着きを感じるような住宅団地になっていました。

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メルキシェスフィアテルの大住宅団地も築後40年と言う事で、改修工事も進んでいます。このように定期的に改修を行うことに寄りドイツの建築は長く使用されています。ここでは外断熱改修工事が行なわれていました。

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メルキシェスフィアテルの大住宅団地の外断熱改修です。断熱材料として土に接する部分は押し出し発泡スチレンが、地上部分はビーズ発泡スチレンが使用されています。

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メルキシェスフィアテルの団地です。省エネルギーの外断熱改修があちこちで行なわれ、足場が掛かっている住宅が多数見受けられました。
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2009年01月05日

バオハオス教授用の建物郡マイスターハオス(Meisterhaus)

デッサオのグロピウスアレー(Gropius Allee)にBauhausの校舎はある。グロピウスアレーを北に進み、エバートアレー(Ebert Allee)を西に曲がるとこの道の左側に沿ってバオハオスの教授陣の住宅マイスターハオスがある。それぞれ内部が公開されている。

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デッサオのエーバートアレー(Ebert Allee)に沿ってバオハウスの教授陣の宿舎があります。まず校長グロピウスの宿舎から始まります。」

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校長の家とありますが、グロピウスが1925年から26年に欠けて住んだ家です。現在ではこの住宅郡を管理する事務所になっています。

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ハンガリー出身のウィジュアル造型家ナギー(Moholy Nagy, 1895-1946)が1945年に住んだ住宅です。その後建てなおされ画家ファイニンガー(Lyonel Feininger, 1871-1956)も住んだそうです。

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Ebert Allee69/71にある画家キャンデインスキー(Wassily Kandinsky, 1866-1944)、クレー(Paul Kllee, 1879-1940)が住んだ住宅です。

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2008年10月13日

ワイン通りのヴルヴァイラー3:博物館

この博物館には単に鋳鉄製暖炉だけでなく当時の暖炉を使用した生活の絵が展示されていました。暖炉があっても部屋の中では厚いオーバーをまとっている絵もありました。

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鋳鉄製ボイラ製造時のカタログです。

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暖炉を中心としたご夫婦の生活です。奥さんは糸を紡いでいます。

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鋳鉄製暖炉製造時の広告です。

当時は必要以上に室温を上げなかったのか、それとも暖炉の焚きはじめで室温は低かったのか、それとも当時の住宅は断熱が不十分で、これくらいの暖炉では十分に室温が上昇しなかったのか、などといろいろ想像をたくましくしました。

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鋳鉄製暖炉の広告です。ここにHutteとありますが、ヒュッテは山小屋を意味しますが、鋳造所という意味もあります。

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暖炉を中心とした生活。夫人が薪を入れています。ご主人は威張っていますね。1 個の画像を送付します。

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絵描きと暖炉。小さな暖炉ですが、寒がりの猫が暖炉のそばにいます。室内でもオーバーを着たり、当時の室内は寒かったのでしょう。

いくらでも拡がるワイン畑は見飽きましたし、この村の山の頂にある修道院を訪問することにしました。雰囲気はかってミルテンベルクで訪問したものとそっくりでした。やはりキリストの受難劇が砂岩の彫刻となって修道院まで登っていく道に立っています。

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社長さん風の紳士が暖炉の前で新聞を読んでいます。

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長時間燃焼の暖炉の広告です。

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調理兼用の暖炉です。寒がりの猫がいますね。鳥までいます。
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2008年08月11日

ベルリン郊外ケーニクスヴスターハウゼンの住宅展示場(5)

ケーニクスヴスターハウゼン(Königswusterhausen)の住宅展示場だけでなく、ドイツの住宅展示場を回ると日本の展示場にはない面白く感じる展示に出会います。環境問題に配慮した展示も多く見られます。先週並びに先々週のブログでご紹介できなかったものをここでご紹介します。

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暖房は放熱器を使用した温水暖房のみならず、床暖房も使用されています。床暖房は最近は合成樹脂の配管が使用され、施工を簡単にするため、断熱板の凹部に配管を挿入して工事をします。

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壁掛け放熱器です。脱衣室や厨房で使用されます。流す温水温度は低めの温度の温水で、これにタオルを掛けることができます。厨房でナプキンを掛ければ殺菌にも役立ちます。

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雨水の貯留槽です。屋根の雨樋、雨水排水管を接続し、雨水を貯留します。雨水は飲用に供するのでなく、庭の散水などに使用されます。

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寒地では凍上を防ぐため、半地下室が設置される場合が多いのです。半地下室を地下室らしくなく、採光を取り入れるために様々な工夫がされています。
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2008年08月04日

ベルリン郊外ケーニクスヴスターハウゼンの住宅展示場(4)

ケーニクスヴスターハウゼン(Königswusterhausen)の住宅展示場だけでなく、ドイツの住宅展示場を回ると日本の展示場にはない面白く感じる展示に出会います。環境問題に配慮した展示も多く見られます。先週のブログでご紹介できなかったものをここでご紹介します。


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昔からドイツの住宅は屋根裏部屋がありました。普段使用されない家具が収納されていたり、様々な利用がされていました。最近では斷熱技術が発展したことで、屋根裏部屋も居室として利用されるようになりました。展示場ではそのための様々な提案があります。

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展示される住宅では立派な家具を配置し、豪華な雰囲気を高めている場合もあります。

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これも展示住宅の室内です。

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浴室の展示です。欧州の浴室はトイレと一緒の場合が多いのです。やはりメタボ症候群が問題になっているようで、運動用自転車も展示されていました。

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ドイツでは毎日入浴する習慣はありません。多くはシャワーですませます。従ってこのようなシャワーキャビネットの展示が多く見られます。

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シャワーキャビネットの側面から勢いよく温水が噴き出し、体をマッサージするような仕掛けもあります。

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これはある時はバスタブとして使用し、ある時はシャワーキャビネットとして使用するスペース節約を考えた器具です。
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2008年07月28日

ベルリン郊外ケーニクスヴスターハウゼンの住宅展示場(3)

ケーニクスヴスターハウゼン(Königswusterhausen)の住宅展示場だけでなく、ドイツの住宅展示場を回ると日本の展示場にはない面白く感じる展示に出会います。環境問題に配慮した展示も多く見られます。太陽熱利用や太陽光利用が目立ちます。

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どこの住宅も外壁斷熱の仕様を模型で示していますが、外壁の厚さが39cmもあり、その殆どが断熱材で構成されている事が分かります。

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発泡スチレンとガラス繊維を併用しています。また有孔の斷熱レンガも併用しています。

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工事の様子を展示しているメーカ−もありました。

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放熱器と配管の取り付けを見せている展示もありました。工事を簡単にするためか暖房の温水配管はフレキシブルチューブが使用されています。

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トイレの扉を開けたらこれはビックリ、「失礼!」と言って出ようとしたら人形でした。トイレの使用法を知らないドイツ人はいないと思うのですが。
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2008年07月21日

ベルリン郊外ケーニクスヴスターハウゼンの住宅展示場(2)

ケーニクスヴスターハウゼン(Königswusterhausen)の住宅展示場とフェルバッハの展示場の展示に関する差はありません。

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住宅展示場には夫婦、恋人どうし、親子連れの来訪が多いようです。

ケーニクスヴスターハウゼン(Königswusterhausen)の展示場では23社、33軒の展示があるのに対し、フェルバッハ(Fellbach)は46社、64軒の住宅が展示されています。

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いかにもプレハブ住宅と言った感じの家です。日照の条件は悪いにも拘わらず太陽温水器を屋根に設置しています。

ベルリンの方がシュッツトガルトより大きな都市であるのに、奇異な感じがしますが、シュッツトガルトを州都とするバーデン・ビユルテンベルク州は持ち家の率が一番高いの州であるのに対し、ベルリンは賃貸住宅に住む人が一番大きい州であることも理由になっているのかも知れません。

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ドイツでは比較的大きな住宅会社Kampa社の展示です。

現在ベルリンもシュッツトガルトも日本からの直行便はありません。フランクフルトが一番多く、次にミュンヘンに直行便が飛んでいます。

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ドイツで伝統的な住宅の雰囲気を出している住宅です。

フランクフルト近くの住宅展示場はバード・ヴィルベル(Bad Vilbel)にあります。住所はLudwig Erhard Straße, 61118 Bad Vilbel Tel, 06101/87926で、毎日11時から18時まで開場し、37社、65軒の住宅展示があります。

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ドイツで75年の歴史を持つ住宅メーカーStreif社の展示です。

ミュンヘンはMessegelände Radlkoferstr.16, 81373 München Tel. 089/5107441にあり、毎日10時から17時の間開場しています。ここでは33社が35軒の住宅を展示しています。
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2008年07月14日

ベルリン郊外ケーニクスヴスターハウゼンの住宅展示場(1)

ドイツで最大の都市ベルリン市内には住宅展示場はありません。郊外の旧東独、ベルリンから南東約30 kmの市、ケーニクスヴスターハウゼン(Königswusterhausen)に大きな住宅展示場があります。

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ケーニクスヴスターハウゼンの住宅展示場は非常に広い敷地に住宅が展示されています。子供の遊び場も完備しており、家族の散策をかねて楽しめます。

この市は約700年の歴史があり、フリードリッヒ・ヴィルヘルムT世の狩りの城(Jagdschloß)があります。これは現在市の歴史博物館になっています。ベルリン市内を流れるシュプレー河の上流に当たり町の中を流れます。また運河や湖も多く、ベルリン市民の遠足の土地ともなっています。

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敷地内にはベンチも備えられ、ここで日光浴を楽しんでいる人もいます。日本の住宅展示場の雰囲気とはかなり異なります。

ベルリンからはケーニクスヴスターハウゼン(Königswusterhausen)行きのS-Bahn(高架電車)が出ています。ドイツ鉄道の駅もあり、交通の要所でもあります。またドイツで放送が始まった土地としても有名です。放送の山を意味するFunkbergという地名があります。日本の愛宕山でしょうか?

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ここは基本的にプレハブ住宅の展示場ですが、多くは「建築家と共に」という看板を出しています。「建築家と相談し、単なるプレハブ住宅でなく、注文住宅に近い住宅を提供します」という提案です。

ここの住宅展示場の住所はAm Nottefließ, 15711 Königswusterhausen, Tel.03375/294963で、毎日11時から18時の間、開場しています。23社、33軒の展示があります。

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ドイツに多い伝統的住宅のプレハブ版です。結構人気があります。
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2008年07月07日

フェルバッハ(Fellbach)の住宅展示場(5)

安全な国と言われた日本でもピッキングや殺人をしてまで盗みをしようとする凶悪犯が増えています。ドイツでは元々他人が家に侵入しないような配慮は大変な物で、鍵は良く発達していました。ドイツの住宅展示場を見ると防犯設備に対する配慮は参考になります。


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ガラス窓のノブを閉めると自動的に窓枠に10ケ所釘が出てきてガラス窓が開かなくなるものです。ガラス窓も強化ガラスが使用され、割れにくく出来ています。

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住宅の外壁周りは玉石が納められています。こそ泥が近づくと玉石が音を出すので、泥棒が近づかないそうです。

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これは防犯扉です。透明部分は凸レンズのようになっており、部屋の中に電気がついていても外から中はのぞけません。そして室内から外はのぞくことが出来ます。
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2008年06月30日

フェルバッハ(Fellbach)の住宅展示場(4)

日本の住宅展示場では壁の中の配管がどの様に納まっているかまでは見せていません。ドイツでは日曜大工が盛んで、自分で配管工事の修理くらいするのは当たり前です。そこで、住宅販売に際しても配管の収まりも示して顧客に納得して貰う必要があります。配管の収まりを示した例をいくつかご紹介します。

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洗面器、便器周りの給排水管、通気管の収まりを見えるようにして展示をしています。

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便器と洗面器の給排水管、通気管の取り付けを示したいます。右は便器を取り付ける前の状態を示しています。

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水栓器具も多くの選択の可能性があることを展示場内で示しています。

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給排気の間で、全熱交換を行うことも良く行われます。そのための全熱交換機の収まりを示しています。最近の日本の住宅にも設備されていますが、最初から天井裏に収納されていて見ることが出来ない場合が殆どです。

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2008年06月23日

フェルバッハ(Fellbach)の住宅展示場(3)

ドイツの冬期は非常に寒いので、暖房技術は進んでいます。温水暖房が一般的ですが、最近の住宅展示場で見られる放熱器はデザイン性に富むものが多くなっています。温水暖房は蒸気暖房、空気式暖房に比べ放射成分による放熱が多いので、快適性に富みます。これはゲルマン人が永く使用してきた陶製放熱器のカッヘルオーフェン(Kachelofen)の伝統をくみます。陶製放熱器も懐古調の波に乗ったのか、最近よく展示されています。


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最近ではデザイン性に富む放熱器が多くなっています。これは温水暖房の放熱器ですが、タオルを掛けておくと乾燥し、入浴後これで体を拭くのは気持の良いものです。

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やはりデザイン性に富んだ温水暖房用放熱器です。タオルが掛けられます。

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この放熱器は温水用放熱器と鏡が一体化しています。お出かけ前に服装のチェックなどに利用出来ます。

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この放熱器はタオルも掛けられ、姿直しの鏡も付いています。

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昔ゲルマン人に好まれて使用されたカッヘルオーフェンを近代化した暖炉です。昔はカッヘルオーフェンを中心とした家族のだんらくがありました。薪が主な燃料だったのですが、最近はドイツの薪を使用して林業の活性化を図り二酸化炭素排出削減を行おうという運動が盛んです。
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2008年06月16日

フェルバッハ(Fellbach)の住宅展示場(2)

フェルバッハだけでなく、ドイツの住宅展示場では展示されている住宅で見えない部分、例えば外壁や屋根の斷熱はどのようになっているかを模型を作って示しています。外壁の部位によって斷熱の使用が異なる場合はその数だけ模型が置いてあり、ドイツ人の几帳面さに頭が下がります。

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羊毛で作った繊維系断熱材(手前)と古紙から作った断熱材が使用されています。

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これは直接断熱材を示す物ではありません。建物はPutzと呼ばれる雨は外壁内に入れないが、室内からの水蒸気は外へ出す仕上げ剤を使用しています。その中がどの様になっているかを示しているものです。このタイルの下が断熱材になっています。

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奥の方はガラス繊維断熱材です。手前は木毛繊維斷熱板です。多くの建築材料は生産の段階で多くの二酸化炭素を排出します。木は製造の段階は森林で成長している時で、逆に二酸化炭素を吸収しています。この間伐材などで、作る断熱材が環境に優しいとして流行しています。

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コンクリート系のプレハブメーカーはコンクリートと発泡スチレンの組み合わせで展示を行っています。

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大手プレハブメーカーであるオカ−ル社も非常に厚い断熱の模型を展示していました。
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2008年06月09日

フェルバッハ(Fellbach)の住宅展示場(1)

ドイツにも住宅展示場があります。各住宅メーカーが比較的広い土地に住宅を纏めて展示をしています。

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Fellbachの住宅展示場には太陽熱利用の住宅が多く展示されています。日本に比べ高緯度にあり、日照条件の悪いドイツで自然エネルギー利用に努力している事に敬意を表せざるを得ません。

これから住宅を建てようとするご夫婦が子供連れでやってくるというケースが多いようです。

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この住宅は太陽光発電も取り入れています。

各住宅にはメーカーの説明員が配備され、要求に応じて詳しく説明をしてくれます。敷地には子供の遊び場や、レストランもあり、一日掛けて見学をしても価値のあるものです。

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この住宅では屋根からの採光を狙っています。しかし夏は暑くて仕方がないでしょうから、屋根の採光ガラスを遮蔽できるようになっています。住宅は外斷熱が施されています。

ここではStuttgartの郊外Fellbachの住宅展示場を紹介します。
場所はHöhenstr.21,70736 FellbachTel.0711/952710です。休日はなく毎日午前11時から18時まで開場しています。

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この建物に密着した温室を付設温室と呼びます。太陽熱利用のパッシブ的手法の代表です。ドイツではこれを冬の庭(Wintergarten)と呼びます。確かに冬にはよいのですが、日本のような夏の蒸暑地域では夏期の対策が必要になります。

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屋根の採光と付設温室を用いています。ここでは夏の対策として付設温室に外付のブラインドを設けています。日本では突然台風が来る、春先の埃を問題にするなどで、ブラインドをガラスの内側に設けます。外付ブラインドの方がブラインドが吸収した太陽熱を室内に持ち込まないので、合理的です。
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2008年04月28日

ホンベルクの宿

ホンベルク(Homberg)では町の観光局が世話してくれた庶民的な(家族的な?)宿に泊まりました。

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宗教がらみの絵は多く見られます。

町が鉄工業で賑わったホルツハウゼン(Holzhausen)に近いものですからこの宿の壁には鉄製の飾りが沢山掛けてありました。

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Fritzlarのドームというタイトルが付いています。Hombergに来るのにドイツ鉄道(Bundesbahn)のWabernで降りてタクシーで来た事を紹介しました。WabernからHombergと反対側5km程の所にFritzlarがあり、ここのゴッシクドームは有名です。

この町は1週間位滞在し休暇を楽しみに来る人が多いようです。他の宿泊客は宿の庭でゆっくり日光浴を楽しんだりしていました。小生のように博物館や町並み、お城を短い時間で駆けめぐるような事をしません。

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バラをモチーフにしたものでしょうか?

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昔の将軍の像でしょう。

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年上の子供が弟たちに食物を分けている像です。よく見ると猫と犬が餌を食べていますね。

1泊して翌朝宿代を払おうとしたら女主人に「もうお帰りかい?なにか私共に手落ちでもありましたか?」と怪訝な顔をされました。「いえ最初から市の観光局に1泊でお願いしていました」と申し述べ次の町Stuttgartへ向かった次第です。

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馬車に荷物を積んで、どこかへの移動でしょうか?

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これはヘルマン記念像と呼ばれます。9世紀までドイツの土地はローマ人によって支配されていました。それがゲルマンの武将アルミニウスがローマの武将ヴァールスを破りローマ人を追放します。アルミニウスのドイツ名がヘルマンです。この戦場がトイトブルクの森と言われましたが実際は最近カルクリーゼであった事が証明されました。この像の実物はトイトブルグの森に立っています。この像は国民の拠金、国家の決議による援助で建設され愛国的、軍事主義的よりどころとなりました。
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2007年10月29日

ドイツ連邦議会(旧帝国議会)

1884年−1894年に建築家パウル ヴァロット(Paul Wallot)の設計により建設されました。これはコンペによったものでありましたが、当局により相当変更され重厚で威厳のある建物になったとの事です。1933年に不審火により、炎上しヒットラーはこれは共産党による放火事件であるとしました。そして共産党の弾圧に乗り出します。そして自らの政権を確固たるものとし、破局の第二次世界大戦へと導きます。第二次世界大戦末期、この帝国議会はソ連兵に攻め込まれ、占領され、屋上にソ連国旗が打ち立てられました。現在でも屋上にロシア語の文字がいたるところ残っています。

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英国人建築家フォスターにより改修されたドイツ連邦議会(旧帝国議会)

大戦後、西ドイツは仮の議事堂をボンに設け、この帝国議会は旧西ベルリン側に残ったのですが、平和希求の博物館として使用されていました。そして東西ドイツの統一後、再びこの旧帝国議会がドイツ連邦共和国議事堂として使用されるようになりました。その際の改修設計は旧敵国である英国の建築家ノーマン フォスター卿(Sir Norman Foster)により1995年−1999年の間に行われました。第二次大戦中はドイツから英国本土へロケットを打ち込み、英国はドイツの敗戦が決定的になってからドレースデン、ライプチッヒ、ケーニスベルクなど主要都市に徹底的な爆撃を加えました。お互いに憎しみ会う中、ドイツの重要建築の修復を英国人建築家に依頼すると言う事は大変な決断と勇気があったわけです。

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ドイツ連邦議会前に建つナチ政権の犠牲になった国会議員の名前と所属政党、殺害日を刻印した鉄製哀悼碑

ドイツ連邦議会の前にはナチ政権により犠牲となった、国会議員名前とその所属政党(主に共産党)と殺害された年月日が刻印された鉄製の碑が建てられています。議事堂の近くには「ドイツを恐れることは無い」(Keie Angst vor Deutschland)と書いた碑がありますが、これを見るドイツの若者は「誰が今のドイツを恐れるのだ?」と笑います。

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ドイツ連邦議会近くにある石碑「ドイツを恐れる必要は無い」

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2007年07月02日

ヴァルトブルグ城

マルチン・ルター(Martin Luther 1483年〜1546年)は宗教改革者として尊敬を集めています。ヴィッテンベルグ(Wittenberg)大学教授として神学を深め、ついにキリストによる罪のゆるしを信じるだけで救われるとの確信に達します。

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城の眼下にチューリンゲン(Thüringen)の森が広がる。

1517年、教皇の免罪符の無意味と不当をつく95か条を公表し、宗教改革の口火をきります。旧教側とハイデルベルク(Heidelberg)、ライプチッヒ(Leipzig)で論争を起こし、1521年ヴォルムス(Worms)の国会に召喚されますが、自己の立場を変えず、法の保護を奪われます。その時の結びの言葉「私はここに立っている。私はこれ以外の事はなしえない“Hier stehe ich; ich kann nicht anders”は全ヨーロッパの関心をとらえたと言われます。

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ヴァルトブルグ(Wartburg)城遠景、ルターが幽閉され、保護されていたことから十字架が付いている

ザクセン(Sachsen)公フリードリッヒ3世の城であるヴァルトブルグ(Wartburg)城に保護され、ルターはここでギリシャ語の聖書をドイツ語に翻訳します。これがグーテンベルグ(Gutenberg)の印刷術により印刷され、部族ごとに異なっていたドイツ語も統一されたといわれます。これもヴァルトブルグが当時のドイツの丁度中央に位置していたからとも言われますが。ヴァルトブルグ城は写真に見るように敵が攻め込めない堅固なつくりをしています。
現在は城内にホテルも出来、部屋は全て眼下のチューリンゲンの森を見渡せるように出来ています。この森を紅いに染めて夕日が沈み、森はたちまち墨絵のようになり、そして夜のとばりがおります。城は静寂に包まれ、気がつくと星が満天の夜空に輝いています。テーブルに蝋燭がともり、ワインを飲みつつのホテルの夕食は旅の疲れを忘れさせます。一方で500年前にルターがここで幽閉されつつも頑張って自分の主張を貫いたという思いに厳粛な気分になりました。

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マルチン・ルターが幽閉・保護されていた房に残るカッヘルオーフェン(Kachelofen)

城内にはルターの部屋という粗末な房があります。現在はここにドイツ語に翻訳された聖書が飾られ、ルターが翻訳の仕事をした机と椅子が残っています。冬は当然寒かったわけですから、房の隅にカッヘルオーフェン(Kachelofen)の暖炉が置かれていました。米国でも「エリートはWASPから出る」「WASPでなければ出世できない」といわれます。WASPは言うまでも無く、白人で、アングロサクソンでプロテスタントと言う意味ですが、プロテスタント(抗議者、抵抗者)はここで生まれました。ちなみにドイツ語ではプロテスタントをエファンゲリシュ(Evangelisch)と言います。

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マルチン・ルターの房に飾られるドイツ語に翻訳された聖書
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2007年06月18日

カッヘルオーフェンと暖房・衛生国際見本市ISH カッヘルオーフェンと暖房・衛生国際見本市ISH

前回昔のカッヘルオーフェンを紹介したが、最近これが見直されてきている。地球温暖化ガスである二酸化炭素排出を削減するために「薪」を使用しましょうという運動である。樹木は森林で成長する段階で二酸化炭素を吸収して炭素として固定してくれる、大変地球環境に優しい燃料である。カッヘルオーフェンで薪を燃焼し、放射による暖房を行えば室温が低くても快適性が保たれ、省エネルギーにもあるという説である。
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2007年3月のISHに展示された現代のカッヘルオーフェン「薪を使用することが環境に優しい行為」としている。

当然伐採した樹木の後は植林をし、林業も活性化させようという考えである。2007年3月にフランクフルトで「暖房と衛生の国際見本市:ISH」が開催された。ここで多くの新製品が発表されるのであるが、カッヘルオーフェンがかなり展示されていた。当然カッヘルオーフェンの横には薪を積み上げて地球温暖化防止に貢献する事をアピールしていた。
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2007年3月のISHに展示された現代のカッヘルオーフェン「薪を使用することが環境に優しい行為」としている。

自分の家では薪を燃料として地球環境保全に努力していますとアピールする家も現れた。ここに示す住宅はグロピウスがカールスルーエの郊外ダンマーシュトック(Dammerstock)に1930年に造った団地の中にある住宅である。住宅の設計はグロピウスである。当然ながら窓枠などは最近のものに変更されている。
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薪を使用することは二酸化炭素削減に寄与するとして、環境派のシンボルにもなっている。カールスルーエ郊外ダンマーシュトック(Dammerstock)のグロピウス設計(1932年)による団地にて

国際見本市ISHは年々賑わいを増している。開催中はフランクフルトのホテルは一杯になり、かつ料金も高くなる。会場は新宿駅のような混みようである。隔年に開催されるが、今年は中国の出展が急増した。ドイツ製と区別が付かないような良質の温水放熱器を出展している中国の会社もあった。
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2007年3月開催のISHではカッヘルオーフェンの造り方に関するデモもあった。
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2007年04月23日

ベルリン市ハンザフィアテルの住宅

ベルリンティアガルテンにあるハンザフィアテルの共同住宅は1950年代に敗戦ですっかり遅れたドイツの建設の技術を取り戻そうと世界から有名建築家を集めて新しい技術で集合住宅を建設したところです。鬱蒼とした森の中に多くの集合住宅が点在し、最初にベルリンを訪問した1965年には日本の住宅と比較し、これが本当に敗戦国の住宅かと驚いたものでした。戦後の復興を住宅から始めたドイツと産業の復興を優先させた日本の違いを感じました。

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1957年建設。グロピウスの作品

このハンザフィアテル地区はすでに1872年に私企業の不動産会社がこの森と芝生の土地に開発を始め1876年に住宅を建設し、この地区をハンザフィアテルと呼ぶようになりました。電車もこの地区に入ってくるようになり、1882年にベレビューという駅ができ、医者、弁護士、企業経営者と言った富裕層が住んだそうで、343棟の集合住宅に15000人の人口がありました。しかし1943年11月の空襲で75%の住宅が壊滅状態になり1945年にとどめの空襲を受けました。戦禍で瓦礫の山となったハンザ地区を婦人達が手渡しで瓦礫を運び整備した話は有名であります。戦時中にナチスに加担しなかったグロピウスが中心となって再建の委員会を作り、国際コンペの形で近代的な集合住宅(一部独立住宅も存在する)が建設されました。

このコンペをインターバオと呼んでいます。各集合住宅から暖房用の煙などが出ないように当時既に地域暖房も行なわれました。ル・コルビジェ、オスカ・ニーマイヤー、マックス・タウト(ブルーノ・タウトの実弟)、アルネ・ヤコブセン、アルバー・アールトー、ハンス・シャロン、カイ・フィスカー、ヴァルター・グロピウスなど錚々たるメンバーが参加をし、腕を競いました。

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1957年建設。オランダの建築家ブレックとバケマの設計

1ヘクタールに1000人の収容と言う事で、十分な空地が取られました。ミース・ファン・デル・ローエやサーリネンのような一部有名建築家で参加を拒否した方もおられたそうであります。夏に来ると緑が繁り緑の影となって住宅が写りにくくなります。

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1957年建設のオスカ・ニーマイヤーの作品

ここでは2007年3月に訪独した際に撮影した写真を示します。1950年代に建設された集合住宅ではありますが、現在も良い状態で保存されています。但し現在の断熱条令に適合しないので、外断熱改修が行なわれていたり、アスベストを含む建材で作られたエタニットハウス等の改修が行なわれていました。ハンザフィアテル地区は現在でも建築を学ぶものにとって素晴らしい博物館と言って良いでしょう。

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バウムガルテンの作品。エタニットハウスと呼ばれています。アスベスト建材を使用したことで、改修が行なわれました。
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2007年04月09日

防空壕の住宅

ベルリンの下町コロイツベルク地区に巨大な円形の防空壕後がある。直径56メートル、高さ21メートルの堅固な石造である。これは1877年に作られた街灯用のガスタンクであった。危険物を貯蔵するために非常に頑丈な構造で作ってあったので、第二次世界大戦が始まると6000名の市民を収容できる防空壕として改造された。

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「防空壕が住宅に!」

昔ベルリンの大日本帝国大使館の地下にあった防空壕を見学した事があったが、それは立派なものであった。私も日本で戦時か「空襲警報発令」の合図のもと防空壕に入ったし「敵機来襲」の合図に息を殺して防空壕で寒さに耐え凌いでいたことがあるが、このような粗末な防空壕とは作りが違っていた。実際にベルリン空襲の際にはこの防空壕に3万人に人間が押しかけたと言う。

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「防空壕住宅近くの集合住宅:戦前のもので、奇跡的に戦災を免れた」

戦後は老人ホームとして、また住宅困窮者収容施設として使用されたが、2006年9月に開発業者がこの遺跡を取得。外観を生かし、内部を12戸の住宅とすることを発表した。2008年に完成予定との事だが、歴史的な遺物を残し、住宅化する計画は歓迎されそうだが、近隣住宅からは「駐車場をどうする」「この地区に住宅は不要」といったシートがかけられ、反対運動が行なわれていた。

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「防空壕の上の住宅建設反対!」の幕を掲げる住宅も

訪問した3月4日、日曜日ではあったがこの巨大な建造物に建設業者が立ち入り屋上緑化の計画を練っていた。建造物に隣接する運動場では子供たちがサッカーの練習を行なっていたが、かつてドイツでは日曜日に仕事をする習慣はなかった。マルチン・ルッターの十戒の第3の戒めで「安息日をおぼえて、これを聖とせよ」というものがある。ドイツ留学中に土曜日に車を洗浄していたら道行く人に「フライシッヒ!勤勉な方よ」と褒められたのに。日曜日に同じ場所で車を洗浄していたら非難の口笛を吹かれるということもあったのである。かつてドイツでは日曜日は商店街は全て店を閉めたが、最近ではそうでもない。これも経済のグローバル化によるものであろうか?ポスト産業資本主義に入っている事の現われかもしれない。
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2007年02月15日

木構造はすばらしい

よくドイツに出張する。ドイツで面白くない事がある。これは大きな都市で見本市(メッセ)があるとその都市のホテル料金が高くなる事である。
見本市と関係の無い仕事で出かけてもたまたまその年でメッセがあるとホテル料金は異常に高く設定されている。そのような事が続くと当方もその都市の近郊の町に宿泊し、そこから電車などで、都市へ出かけると言うことを行なうようになった。
フランクフルトはよくメッセを行う。この場合フランクフルトを流れるマイン河を80km程遡ったミルテンベルクという町に泊まる。ここにはリーゼンという1158年に建てられたドイツ最古のホテルがある。
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ミルテンブルクの古いホテルリーゼン

日本で言うと平安後期であるが、これが改造に改造を重ね、現在でも使用されている。マリーアントワネットの母親であるマリアテレジアやドイツ皇帝のフリードリッヒ三世、フランツ二世、エッチングで有名なデユ―ラーも宿泊をしたホテルである。
このホテル、外から見るとよく分からないが、構造は木造木組みである。しっかりした木造の梁、柱に支えられ850年の風雪に耐えてきたのである。

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ホテルリーゼンの天井。
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