少し古い本になるが、崎村茂久さんという方が書いた「ドイツと日本−体験的ドイツ論(三修社、1978年)」を読んだことがある。カールスルーエの郊外に14年間住んでの体験が書かれており、興味深く、一気に読んでしまった。

カールスルーエ城
中にカールスルーエの市民公園に上原教授のもと、日本から来た庭師と共に日本庭園を造る話がある。1971年〜1973年までベルリン工科大学ヘルマン・リーチェル研究所の客員研究員していた頃知り合った友人でマンフレド・ボヤシェブスキ−(Manfred Bojaschewsky)というベルリンの高等学校(ギムナジウム)で物理の教師をしていた男がいる。もうリタイアし年金生活であるが、リタイア近くに念願の結婚を果たした。しかし夫人はカールスルーエに職があり、マンフレッドはベルリンに住宅を持っている。そこでお互いにベルリンとカールスルーエを行ったり、来たりの生活を送っている。

カールスルーエの最高裁判所建物の一部、かつて左翼の襲撃があったので、警備が固い
そんな関係で、筆者はマンフレッドがカールスルーエにいるときは彼をそこに訪ねる。崎村さんも造園に加わった日本庭園は確かに市民公園の中にあり、なかなか立派な物である。カールスルーエはカール・ヴィルヘルム伯が1715年に現在に城を築いてからの町であるので、古い町とはいえない。人口273,000人、面積173.46km
2で大学が6校もある。
カールスルーエには最高裁判所と憲法裁判所があり司法の最高機関の町と言うことになる。日本は立法、行政、司法の三権の最高機関はすべて首都である東京にあるが、ドイツは連邦国家のため立法はベルリンに司法はカールスルーエに、行政は主にベルリンとボンに分散されている。また、中央銀行はフランクフルトにある。すべてを東京に集中させている日本は効率がよいのか、それとも東京に万一のことがあった場合は日本全体が破滅と言うことにも成りかねないという危険性を背負っているのか。

カールスルーエ工科大学、ハインリヒ・ヘルツ(1857〜94)は同大学の教授を務めた
カールスルーエに最高裁判所があることから、カールスルーエ大学の法学部は優秀なのかとも思っていたが、実はそうでなく、工科大学が良いのだそうである。周波数の単位であるヘルツの元となったヘルツ教授はカールスルーエ大学の教授であったそうである。
我が国では首都圏と地方との格差も問題になっているが、ドイツは地方都市がしっかりしており、格差を感じない。人口237,000人の町に博物館が17、劇場が10存在している。カールスルーエの城は扇状に広がり、32の道が軸をなして広がり町を形成している。城の公園は市民に公開され、小型の蒸気機関車が子供たちを乗せて歓声の中、煙を上げて走っていた。
国家権力をすべて中央に集中する方式がよいのか、ドイツのように分散する方式がよいのか、首都移転問題も含めて考える必要があろう。

カールスルーエ城の公園を子供の歓声に包まれて走る小型蒸気機関車
posted by 田中の住居学 at 00:00|
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