推薦
「建築家・ブルーノ・タウト」、貴兄の生真面目な性格がそのままブルーノ・タウトの生涯を正確に表現した名著となっています。感激しながら一息に読みました。見事です!
尾島俊雄先生
第1章 タウトの生涯とタウトを取り巻く人々
第2章 ユネスコ世界文化遺産と1924年までに設計されたジードルング群
第3章 1925年に設計されたジードルング群
第4章 1926年以降に設計されたジードルング群
第5章 ダーレビッツに残るブルーノ・タウトが設計した旧自邸
第6章 ブルーノ・タウトの多様な作品群
第7章 日本での活動−建築家の休日
第8章 タウトの言葉
文献一覧
タウト作品見学ガイド
エリカ夫人は、1939年9月に、タウトの遺稿ならびに遺品とデスマスクを携えて、再び日本を訪れた。デスマスクは、高崎におけるタウトの旧居「洗心亭」のすぐ傍の少林寺達磨寺に納められたのである。この年の12月24日に、エリカ夫人と少数の知友とが達磨寺に集まり、住職広瀬大蟲を導師として一周忌の法要を営んだ。その後、日本をも含めて世界の情勢は急速に変転しまた悪化した。ドイツ人であるエリカ夫人にとって、日本はもはや住みよい地ではなくなった。・・・
たぶん46年にアメリカを経て帰国したらしいが、日本のどの知人も、その後の消息を知る事ができずにいる。であるが夫人は既に高齢の筈である。上野氏は、1958年に戦後のベルリンを訪ねたが、マクス・タウト氏ですら、エリカ夫人が東ドイツに居住しているということ以外には何も知るところがなかった。いずれにせよ、この日記と共に、日本に関するタウトの著作原稿は、その保全に忠実であったエリカ夫人のお蔭で、すべてこの国に残されることになったのである。(タウトの日記解説:篠田英雄:昭和50年6月)
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